ちょっと真面目に書きたいことがあります。
臓器移植法が改正されたニュースを見て
どうしても書きたいと思いました。
私がまだ世間知らずだった20代前半。
今とは別の保険会社で営業をしていたことがあります。
でも~
保険なんて・・・
って思いがどこかにあって
全然本気になれませんでした。
うまいこと言いくるめられて契約させられて
って悪いイメージしかなかったからね。
とりあえず次の仕事が決まるまで
なんて甘っちょろいこと考えていました。
そんな私に
面倒を見てくれていた男性のトレーナーが言った言葉。
今でも時々思い出します。
「もしぴいちゃんの彼(今ではダンナになってます)が事故に遭って
植物状態になったらどうする?
もう治らないからって人工呼吸器を止められる?
今日は駄目だったけど明日になったら目が覚めるかもしれない、
もう少ししたら治療法が確立されるかもしれない、
特効薬ができるかもしれない、
みんなそう思って看病してるんだよ。
でもそうするにはすごいお金がかかるでしょ?
だからこそ保険が必要なんだよ。」
トレーナーの大学時代のお友達の一人が
事故で植物状態になっているとのこと。
母一人子一人の家庭で
お母さんが息子さんの看病をしながら
明日には目覚めるかもしれない
そう思って毎日を過ごしているんだと・・・。
臓器提供を待っている人は
それがなければ後は死ぬしかないわけで
本当に最後の
ギリギリの状態なんですよね。
その人の家族や恋人、友人は
助けたい
元気になってほしい
って
心から思ってるはず。
でも・・・
その人が助かるってことは
誰かの命を差し出すってこと。
差し出す側の家族も
誰かに差し出す前に
助けたい、って
早くよくなってまた一緒に暮らしたい
そう思ってる。
なにが正しいかなんてことじゃない。
ただ
元気になってくれたら・・・
その思いは
どちらの家族も同じなんだ。
臓器を提供すれば「誰か」は助かる。
提供しなければその臓器はただの死体になる。
それを
もったいない
いいじゃん、あげちゃえば
と思う医療関係者もいるだろう。
それもまた正しい意見だと思う。
それでも・・・
もし家族や恋人、友人、かつてお世話になった人、
自分にとって大事な人が臓器の提供を迫られたら
その心臓を止めることができるだろうか。
もう一度笑ってくれるかもしれない明日をあきらめて
まだあたたかいその手を離すことができるだろうか。
私には
多分できないだろう。
最後の最後までもがいてじたばた騒いで
何十億分の1の可能性にでも賭けるだろう。
どれが正解かなんて誰にもわからない。
今の私はただ
臓器を提供しない人たちが
差別や批判にさらされないように、と
願ってやまない。
そして
臓器移植以外の治療方法が確立されること
脳死から蘇生させる方法が見つかることも。