これから書く文章は、ただの戯れ言と取ってもらいたい。

見なかったことにしてほしい。それは無理か。

 

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2018年の12月ごろ、とあるSNSに一枚の動画リンクが貼られた。

その投稿者は、こういった。

「年度末に、こういう動画を投稿する、というのはとても感じるものがある」

たしか、そんな言葉だった。

 

それは「命に嫌われている」のカヴァーであり、僕は初めてその歌を知った。

 

「死にたいなんて言うなよ あきらめないで生きろよ」

「エゴなんです」「自分が死んでもどうでも良くて」

「僕らは命に嫌われている」「殺してあがいて 生きて生きて生きて生きて生きろ」

どれも元の歌詞は強い言葉だった。

 

しかしその裏には、カヴァーする歌い手の強い感情というか、強力な信念が乗せられていたのだった。

僕はその歌い手を追ってみたくなった。実際、なんとなく印象に残っていた。歌そのもの、というより、歌っている本人について。

 

前にもそんなことをした気がする。10年ほど前だろうか。

そのころは僕はまだ20代に入りたてで未熟で、振られて…まあそんな話はいいか。

ちなみにその歌い手は今メジャーシーンにいる。

 

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話を戻そう。

それを何となく聞いて、しばらく、何となくの生活が続いた。

日常に漂う一種の安寧と、このままじゃダメだ、という焦燥。

僕にとっての2019年は、リハビリからの復帰であり、総括すれば非常に安定した生活だった。

 

 

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受験の方法ばかり教えて、肝心の教えというものは僕の通っていた高校には無かった。あったかもしれなかったが、見ていなかった。

家庭はゴタゴタしていた。今もそうだが、当時はもっと凄惨だった。

 

 

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高校卒業後、なんとなく予備校に通うべきなのかと思い立ち、3か月で辞める。50万円消失。

母親に「金返せ」と言われたのは今も覚えている。

 

今時こんなブログでいいのか迷う。戯れ言だと置いているので続ける。

 

その後なんとなくゲームをしながら、光常時接続黎明期のネットで交流したり、フリーゲームのデバッガをしたり、

2chのVIP掲示板に入り浸っていたこともあった。勿論僕はそこでも異端だった。叩かれたりもした。いい思い出だ。

ストラテジーゲームをずっとやっていたような気がする。

 

もう過去話はいい。その後を簡潔に。

 

小売でアルバイトをして、職場に好きな人ができた。振られた。気まずくなった。ストーカーっぽいこともした。

別れ際に、新しい道を行く、と彼女に伝えた。彼女から帰ってきたのは怨差の返事と、彼女なりの激励だった。

「場所が変わろうが、あなたが変わらなければ、何も変わることは無い」

それは強く印象に残っている。

 

独り暮らし、奨学金による事実上の借金生活、無労働の環境で美術教育を受ける。

口実とか理由は「伝えられなかった事を今度こそ伝えたい」

たしかそんなことだった。

 

学校生活は楽しかった。何より目的があった。素晴らしいとは言わないが、多数のよき先生が居た。

空っぽの心でもできることがある事を知った。

何よりも、周りの人間たちも、僕と同じような目をしていた。(これはかなり主観的だが)

そういう訳で、新しい学生時代は好き放題に暴れた。高校時代の鬱憤を晴らすかのように。

実際、問題児だったと思う。というか、今でも外面は取り繕っていても、内面は問題児のままだ。

 

また過去話になってしまった。戻す。推敲はしない。

 

数々の手法、考え方を学んだ。最後の学園祭ではこれまでで一番の大作を作った。そして…体調を崩し、1日1時間睡眠、毎日牛丼生活など、まあ至極当然ではあるが。

病棟送りとなった。2年後、休学から専門学校を正式に中退した。借金と経験が残った。

 

けがの功名とは復帰できた今だから言えることで、入院当時は地獄だった。それから6年。今、正式に新しいことを始める準備ができた、のかもしれない。

 

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2019年も12月。先に述べた事と繋がる、なんとも不思議な縁で、とあるバンドに出会った。

 

そこで出会ったのが、この2曲だった。

 

https://www.youtube.com/watch?v=Qb98LD-fxko

 

https://www.youtube.com/watch?v=FqKQ2_oexXM

 

音楽を説明するのは無粋だ。だからそれは省く。

ただ、この2曲が、僕に新たな門出を感じさせた。

 

「僕は僕だ 這い上がってやる」

「僕は僕だ たどり着いてやる」

「結果がすべてこの世界は 周りの大人はこういうんだ」

「僕は僕だ」

 

「お願いぼくを死なせないで」

「気づいてよ 僕はここに居る」

「覚えていて それだけでいいから」

「こんな僕好きになれなくて でも少しだけ信じてみたくて」

「探した言葉思い出して 僕なりの言葉を叫ぶから」

 

どれも強い言葉だ。

 

「気づいていた 僕を一番に 愛してくれた人 連れ出してくれた人 あの日々を そっと胸に刻んで 僕はまた歩き出す」

 

今日、やっと気づいた。

ずっと孤独で生きていたつもりだった。でもそれは人との出会いあってこそ。

別れ、無常、今何しているのか、分からない人もいる。

 

さっき過去話をくどくど書いた。そのころの人たちの大半とは連絡がつかない。

「覚えていて それだけで いいから」

これが胸に刺さる。今何をしているのだろうか。

 

優しさに触れた。世捨て人だった僕に、もう一度、やってみよう、という気力が湧いた。

一重に最近触れてきた人々のおかげでもあるし、過去出会った数々の人々のおかげでもある。

 

残された時間は少なくなってきているのを感じる。それでも。

「大事なのは、続けることだ」

先生の言葉が蘇る。

 

体調も戻ってきた。今準備は整った。

「僕は僕だ」なんて軽々しく言える立場じゃない。

それでも、僕は続ける。それがどんな結果になるかはわからない。

 

今は、「覚えていて、それだけでいいから。」

そう願いながら。

 

薬が回ってきた。

 

明日どうなるかはわからない。それでも僕は生きる。それだけだ。

やりたいことはたくさんある。それをすべて達成するには、もう時間が足りない。

 

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そういう事がいいたかった。寝る前に、彼らの曲を聴いて、涙がこぼれ、

そして何となくブログを書いた。それだけ。

 

明日もやることがある。

今日一日を生きよう。そしてやりたい事を成し遂げよう。そして、誰かの記憶に少しでも残る仕事がしたい。

立ちはだかるハードル。一歩ずつ乗り越える。

 

「幕は上がりだした。」

 

彼らに負けていられない。

今は借り物でも、僕も僕なりの言葉を叫ぶ。いつか、きっと。

 

「僕は僕だ。」