こんにちは。
市川学です。
今日は、pure note1stアルバム『Grace』から、
Trust your heartのご紹介をします♪
↓
Trust your heart
草原にたった一本の樹。
あなたの心の中にある、確かな感覚。
広大な宇宙の中にあって、
寒くて暗くて、孤独の恐怖に震える時にも、
小さくも、確かにそこにある光。
あなたを確実に導いている存在。
いつでもともに在る、存在。
その大いなる存在をハートで感じませんか?
・・・・・・
この曲でお伝えしているメッセージは、
自分のハートを信じる、
自分の感覚を信じる、っていうことです。
自分の可能性を信じる、っていうことでもあるし、
自分の未来を信じる、っていうことでもあります。
あなたの奥にある感覚、
懐かしい感覚、ふか~い安心、安らぎ。
どんな時も自分と共に在る感覚。
その感覚にアクセスしていくことが出来ると、
本当に楽になっていきます。
その感覚にアクセスするための、
Trust your heart。
あなたの心を照らす、
確かな存在を感じてみてください。
その存在を感じる時、
あなたのハートはなにを観るのでしょうか?
なにを聴くのでしょうか?
そして、何を感じるのでしょうか?
では、pure note1stアルバム、
『Grace』から、Trust your heart。
是非、聞きながら、
あなたのハートと対話をしてみてくださいね♪
今日もお読みいただき、ありがとうございます♪
次の曲は、、、
↓
天使の休息♪
おはようございます。
市川学です。
今日は少し、ジャッジをしない生き方、
っていうのについて考察を深めていきたいと思います。
ジャッジをしない、というところから、
観察者としての意識を育てることの大切さや、
そのことがあなたの人生にもたらす影響の大きさ、
そういうところがより見えてくると思います。
ジャッジをしない、っていう言葉は、
スピリチュアルが好きだったり、カウンセリングや、
セラピーなんかを学んだ人はミミタコだと思います。
セラピーなどで、悩みを相談しにきた人の話しを聞く時に、
セラピストが自分の価値観で、あなたは間違っている!
っとか、そんな問題で悩むのがそもそもおかしい、
こういう風に考えてみたらどうだい?
なんてろくに話しも聞かずに言われたら、
あなたはどう感じますか?(笑)
嫌ですよね、そんな人に相談したくないです。
「そんなもんわかってるけど、
それが出来ないから相談に来てるんじゃないか!」
って感じですよね(笑)
だから、まずは自分の判断抜きに、
その人のありのままを認めていくことや、
真摯に話しを聞いていくこと、承認していく。
承認、っていうのもよくつかわれる言葉ですけど、
受容、とか、あなたの悩みがわかりますよ、って、
共感していく姿勢とか、そういうのも育てるにも、
ジャッジをしない、というのは大切なんですね。
で、人は共感してくれたり、自分を認めてくれて、
好きになった人の話しは聞くわけです。
そういう信頼関係、ラポール、って言われたりしますが、
そのラポールを築いていくプロセスでは、
絶対にジャッジはダメ、なんですね。
「なんかこの人の言ってることわかるけど、
この人のこと気に食わないから聞きたくない。」
なんていう状態になってしまったら、
セラピーどころじゃないですよね?(笑)
で、今はあなたはもしかしたら、
セラピストとかではなくて、あまり関係ないな、
っていう風に感じたかもしれませんが、
実は、すっごくすっごくあなた自身にも大切な話なんです。
っというのは、、、
このラポール、っていうのは、
もちろん他人とのラポール、信頼関係、っていうのもありますが、
自分自身とのラポール、信頼関係、っていうのもあるからです。
自分に対して、ジャッジをしている、
つまりは、毎日決めたことが出来る自分は良いけど、
ぐーたらしている自分は悪い、とか。
ダイエットのために食事制限や運動が出来る自分は良いけど、
そうじゃない自分はダメ、悪い、嫌い、みたいなのとか。
継続的に、努力出来る自分のことは認めるけど、
そうじゃない自分は認めないよ、とか。
そういうジャッジばかりしていると、
どんどんと自分自身とのラポールがなくなっていくんです。
目標達成のために、基準を上げるのはいいことです。
ただ、ジャッジが厳しくなりすぎると、
人生はつまらなくなってしまうのではないかなぁ、と。
まぁ、ココに関しては、一概に言えない部分もあって、
基準を高めている自分が好きだったり心地よい場合、
基準を守れなかった自分を叱咤激励する意味での、
暖かい叱咤というのは効果的な場合もありますよね。
なので、全部が全部ではないけれども、
無意識のうちのジャッジ、というのは、
緩めていってあげた方が自分に優しいです。
コーチングなどでも、基準を上げる、というのは、
大切なプロセスの一部なのですが、それは意識的、
だからこそ、効果的なわけです。
自分で意識をして、行動規範を自ら創り、
その行動規範に従っていくとき、(基準を上げていく時)
自分への信頼は高まりますし、そうなれば、
目標達成の確率は上がるし、達成出来るのが当たり前になります。
意識的に、自らの選択で基準を上げている、
というところが、ものすごく大切なポイントですね。
で、そういう前置きもしたうえで、、、
ジャッジをやめる、ということについて考えると、
無意識のうちの信念や習慣が私達の中にはありますよね。
その無意識のうちに出来あがった信念や習慣が、
私達を必要以上に苦しめている場合、というのが、
往々にしてあるんです。
これらは、今までの人生を生きる中で、
無意識のうちに創られてきた信念であり、習慣なので、
自分で気づくことは、なかなか難しいです。
なぜなら、自分にとって当たり前であり、
自分の中での常識、となっているからです。
スポーツにルールがあるように、
私達は生きる上でのルール、というのを持っています。
それが、信念であり、習慣だったりします。
意識的な信念や習慣は、よりよい人生、
幸福な人生への道しるべ、となり得ますが、
無意識的な信念や習慣は、人生を難しくする場合もあります。
信念や習慣、というのを直接変えるには、
セラピストやコーチの助けがいる場合もあります。
そこで、まずは、ジャッジをやめる、
ということをしてみると自分自身でセルフセラピーだったり、
セルフコーチングをするのに、とても役立ちます。
今までの無意識のうちに出来た、信念や習慣に、
自分自身で気づいていこうよ、っていう感覚です。
意識的になれば、無意識のうちに出来た信念や習慣、
自分自身で変えていくことも出来ます。
それはつまり、人生を自分の思い通りにしていく、
そのためのとても大きなきっかけになっていくんですね。
っというわけで、ジャッジをやめる、っていうことについて、
ようやくはいっていくことが出来ます。
長かったですか?
でも、ジャッジをやめる、っていうことに対して、
すごくワクワクしてきませんか?
ジャッジ、判断をやめる、と楽になるんですよね。
で、今まで私は、ジャッジ、っていう言葉、
判断、っていう言葉に訳していたんですけど、
ジャッジをする、判断をする、っていうのは、
いいかえると、人や出来事を裁いている。
っと言うことが出来るんですよね。
無意識のうちに、あの人はいい人とか、
あの人は嫌な人、とか、判断している。
この言い方だとまだかわいいんですけど、
無意識のうちにあの人はいい人とか、
あの人は嫌な人だと、裁いている。
これ、どうでしょう?
裁いている、だと、ものすごく嫌な感じがしませんか?
私は、自分に対して、
「お前は神様にでもなったつもりか?」
と、突っ込みたくなってしまいました(苦笑)
神様、というか、独裁者って感じですよね。
極端な言い方をしてしまえば、
あの人はいい人、あの人は嫌な人、
っていうそのジャッジ、裁きが、
人種差別や大量虐殺をうんでいますよね。
ナチスドイツによる、ユダヤ人の迫害、
奴隷制度やいじめ、パワハラなんかも、
一人一人の内側にある裁きの心がうんでいる。
っということすら、出来ると思います。
だからといって、それがダメ、っていうわけじゃないんです。
ダメ、というか、嫌な気持ちになる必要ってなくて、
あぁ、そういう独裁者みたいな自分もいるんだな、って、
ただただ、観察する意識がとても大切だと感じています。
例えば、
「あなたはエゴまみれですね。」とか、
「あなたは自分のことしか考えてないですね。」とか。
そういうこと言われたら、嫌な気持ちがしますか?
まぁ、嫌な気持ちになると思います。
でも、今はそう見えた、ということだったり、
今のあなたの行動がそう感じられた、というだけのことで、
あなたの人格そのものが否定されているわけではないし、
あなたの全てがダメだ、っていうことでもないんです。
ただただ、観察者としての意識を持つと、
人から言われるいろんな言葉に一喜一憂が少なくなります。
そう、ジャッジをやめる、っていうのは、
観察者としての自分の意識を育てる、ってことでもあります。
観察者としての自分、です。
自分の思考や感情と一体化していない自分、
つまりはエゴを離れて、自分の意識に気づいている状態。
本質の自分へと戻っている状態、
悟りの状態、覚醒している状態。
いろんな言い方が出来ると想うのですが、
この観察者としての自分、という視点が持てると、
すご~く人生を生きるのが楽になっていくんですよ。
今まで、ただただ出来事に反応して、
いや~な気持ちをひきづっていたり、
他人の言葉や視線が気になって仕方なかったり、
そういうことがなくなっていくんです。
ありのままの自分でOK、そういう意識が、
どんどんどんどん育っていくんですよ♪
これは、すっごく心地よいことです。
自分に対しての言いわけ、っていうのも少なくなります。
自分の欲とか、短期的な欲求に振り回される、
っていうことも少なくなります。
自分の中に湧きあがってくる欲求も、
素直にそのままを受け止めることが出来るので、
つまりは、自分の欲求を観察できるので、
ただ欲求に反応する、っていう自分じゃなくなるんです。
一度観察してあげて、その上で、
その欲求にこたえるのか、それともいらない、とするのか?
それは、
反応的な生き方、いいかえると、無意識的な生き方から、
意識的な生き方への変容なわけです。
これは、すごい変容なんです!
一つ意識的な部分が出来ると、
意識的なあなたというのはどんどん拡大していきます。
無意識的な反応はあったとしても、
その反応を観察して、自分の自らの意志で、
一つ一つの選択をしてから行動に移すことも出来ます。
自分に気づき、その自分を観察、受け容れて、
新しい選択肢を見つけたり、選択肢を吟味して、
自らの意志で決断し、行動に移すことが出来る。
まさに、私がセッションでお伝えしたいことも、
こういうことなのですが、ジャッジをやめる、
観察者としての自分を育てる、というのは、
セッションを受けなくても出来るわけです。
むしろ、観察者としての自分が育っていなければ、
セッションを受けても効果的でない場合もあります。
セッションを受けることで、今まで観たくなかった、
自分のエゴや自分自身の嫌いな部分、認めていない弱み、
そういう部分を直視することになってしまう場合もあります。
準備が出来ていなければ、その痛みに耐えられませんから、
セッションを受けない方が良い、という場合すらあります。
安易にスピリチュアルに手をだすと、
本当に痛い目にあいます(苦笑)
私は、今までの無意識的な生き方を、意識的に変えていく、
っというのがスピリチュアルだと思っています。
目に見えない存在と繋がる、とか、
天使、とか、神様、とか、そういうふわふわした部分だけが、
スピリチュアルではありませんよね。
天使に繋がることで、今まで無意識的に使っていた、
自分の本来の力や可能性を使うことが出来るようになる。
チャネリングをするもそう、前世を観るもそう、
大いなる存在としての自分を意識するもそう、
この世界を創り上げている創造主としての自分を意識する、
っというのも、今までの無意識を意識にあげるためです。
私は、今のところはそういう結論をだしています。
以前はもっとなんかふわふわした、
心地よい天国のような世界がある。
そういうところをイメージして、
スピリチュアルにはまっていったのですが、
実際には真逆というか、そんな感覚すらあって(苦笑)
ま、それはともかくとして、
意識的な生き方、観察者としての自分を育てる生き方、
そのための第一歩として、ジャッジをやめてみる、ということ。
いかがだったでしょうか?
ジャッジをしている自分に気づく、というのが、
まずは大切なところです。
ジャッジをしている瞬間というのは、
最初のほうに書きましたが、無意識的な信念や習慣、
そういうものが反応している瞬間です。
だから、ジャッジをしている自分に気づく、
っていうのは、実はかなり高度なわざです。
往々にして、ジャッジをしている瞬間、
っというのはネガティブな感情が湧きでていますから、
ネガティブな感情になっている時は、
自分のジャッジに気づくチャンスですよ♪
最後に、
ジャッジをしている自分、というのも、
受け容れる存在である、っていうことも、覚えておいてください。
ジャッジをしている自分はダメだ、
なんていうジャッジもいらないわけです(笑)
どんな自分も、ありのままでOKです。
っというわけで、
今日もお読みいただきありがとうございます♪
ステキな一日をお過ごしください。
P.S
ありのままの自分と言えば、
アナと雪の女王、という映画観ましたか?
かなり感動しました♪
自分の力を解放していく感覚が伝わってくるし、
自分の内側の愛によって、呪いを解いていく。
自分自身に力を取り戻させてくれる映画ですね♪
おススメです☆
市川学です。
今日は少し、ジャッジをしない生き方、
っていうのについて考察を深めていきたいと思います。
ジャッジをしない、というところから、
観察者としての意識を育てることの大切さや、
そのことがあなたの人生にもたらす影響の大きさ、
そういうところがより見えてくると思います。
ジャッジをしない、っていう言葉は、
スピリチュアルが好きだったり、カウンセリングや、
セラピーなんかを学んだ人はミミタコだと思います。
セラピーなどで、悩みを相談しにきた人の話しを聞く時に、
セラピストが自分の価値観で、あなたは間違っている!
っとか、そんな問題で悩むのがそもそもおかしい、
こういう風に考えてみたらどうだい?
なんてろくに話しも聞かずに言われたら、
あなたはどう感じますか?(笑)
嫌ですよね、そんな人に相談したくないです。
「そんなもんわかってるけど、
それが出来ないから相談に来てるんじゃないか!」
って感じですよね(笑)
だから、まずは自分の判断抜きに、
その人のありのままを認めていくことや、
真摯に話しを聞いていくこと、承認していく。
承認、っていうのもよくつかわれる言葉ですけど、
受容、とか、あなたの悩みがわかりますよ、って、
共感していく姿勢とか、そういうのも育てるにも、
ジャッジをしない、というのは大切なんですね。
で、人は共感してくれたり、自分を認めてくれて、
好きになった人の話しは聞くわけです。
そういう信頼関係、ラポール、って言われたりしますが、
そのラポールを築いていくプロセスでは、
絶対にジャッジはダメ、なんですね。
「なんかこの人の言ってることわかるけど、
この人のこと気に食わないから聞きたくない。」
なんていう状態になってしまったら、
セラピーどころじゃないですよね?(笑)
で、今はあなたはもしかしたら、
セラピストとかではなくて、あまり関係ないな、
っていう風に感じたかもしれませんが、
実は、すっごくすっごくあなた自身にも大切な話なんです。
っというのは、、、
このラポール、っていうのは、
もちろん他人とのラポール、信頼関係、っていうのもありますが、
自分自身とのラポール、信頼関係、っていうのもあるからです。
自分に対して、ジャッジをしている、
つまりは、毎日決めたことが出来る自分は良いけど、
ぐーたらしている自分は悪い、とか。
ダイエットのために食事制限や運動が出来る自分は良いけど、
そうじゃない自分はダメ、悪い、嫌い、みたいなのとか。
継続的に、努力出来る自分のことは認めるけど、
そうじゃない自分は認めないよ、とか。
そういうジャッジばかりしていると、
どんどんと自分自身とのラポールがなくなっていくんです。
目標達成のために、基準を上げるのはいいことです。
ただ、ジャッジが厳しくなりすぎると、
人生はつまらなくなってしまうのではないかなぁ、と。
まぁ、ココに関しては、一概に言えない部分もあって、
基準を高めている自分が好きだったり心地よい場合、
基準を守れなかった自分を叱咤激励する意味での、
暖かい叱咤というのは効果的な場合もありますよね。
なので、全部が全部ではないけれども、
無意識のうちのジャッジ、というのは、
緩めていってあげた方が自分に優しいです。
コーチングなどでも、基準を上げる、というのは、
大切なプロセスの一部なのですが、それは意識的、
だからこそ、効果的なわけです。
自分で意識をして、行動規範を自ら創り、
その行動規範に従っていくとき、(基準を上げていく時)
自分への信頼は高まりますし、そうなれば、
目標達成の確率は上がるし、達成出来るのが当たり前になります。
意識的に、自らの選択で基準を上げている、
というところが、ものすごく大切なポイントですね。
で、そういう前置きもしたうえで、、、
ジャッジをやめる、ということについて考えると、
無意識のうちの信念や習慣が私達の中にはありますよね。
その無意識のうちに出来あがった信念や習慣が、
私達を必要以上に苦しめている場合、というのが、
往々にしてあるんです。
これらは、今までの人生を生きる中で、
無意識のうちに創られてきた信念であり、習慣なので、
自分で気づくことは、なかなか難しいです。
なぜなら、自分にとって当たり前であり、
自分の中での常識、となっているからです。
スポーツにルールがあるように、
私達は生きる上でのルール、というのを持っています。
それが、信念であり、習慣だったりします。
意識的な信念や習慣は、よりよい人生、
幸福な人生への道しるべ、となり得ますが、
無意識的な信念や習慣は、人生を難しくする場合もあります。
信念や習慣、というのを直接変えるには、
セラピストやコーチの助けがいる場合もあります。
そこで、まずは、ジャッジをやめる、
ということをしてみると自分自身でセルフセラピーだったり、
セルフコーチングをするのに、とても役立ちます。
今までの無意識のうちに出来た、信念や習慣に、
自分自身で気づいていこうよ、っていう感覚です。
意識的になれば、無意識のうちに出来た信念や習慣、
自分自身で変えていくことも出来ます。
それはつまり、人生を自分の思い通りにしていく、
そのためのとても大きなきっかけになっていくんですね。
っというわけで、ジャッジをやめる、っていうことについて、
ようやくはいっていくことが出来ます。
長かったですか?
でも、ジャッジをやめる、っていうことに対して、
すごくワクワクしてきませんか?
ジャッジ、判断をやめる、と楽になるんですよね。
で、今まで私は、ジャッジ、っていう言葉、
判断、っていう言葉に訳していたんですけど、
ジャッジをする、判断をする、っていうのは、
いいかえると、人や出来事を裁いている。
っと言うことが出来るんですよね。
無意識のうちに、あの人はいい人とか、
あの人は嫌な人、とか、判断している。
この言い方だとまだかわいいんですけど、
無意識のうちにあの人はいい人とか、
あの人は嫌な人だと、裁いている。
これ、どうでしょう?
裁いている、だと、ものすごく嫌な感じがしませんか?
私は、自分に対して、
「お前は神様にでもなったつもりか?」
と、突っ込みたくなってしまいました(苦笑)
神様、というか、独裁者って感じですよね。
極端な言い方をしてしまえば、
あの人はいい人、あの人は嫌な人、
っていうそのジャッジ、裁きが、
人種差別や大量虐殺をうんでいますよね。
ナチスドイツによる、ユダヤ人の迫害、
奴隷制度やいじめ、パワハラなんかも、
一人一人の内側にある裁きの心がうんでいる。
っということすら、出来ると思います。
だからといって、それがダメ、っていうわけじゃないんです。
ダメ、というか、嫌な気持ちになる必要ってなくて、
あぁ、そういう独裁者みたいな自分もいるんだな、って、
ただただ、観察する意識がとても大切だと感じています。
例えば、
「あなたはエゴまみれですね。」とか、
「あなたは自分のことしか考えてないですね。」とか。
そういうこと言われたら、嫌な気持ちがしますか?
まぁ、嫌な気持ちになると思います。
でも、今はそう見えた、ということだったり、
今のあなたの行動がそう感じられた、というだけのことで、
あなたの人格そのものが否定されているわけではないし、
あなたの全てがダメだ、っていうことでもないんです。
ただただ、観察者としての意識を持つと、
人から言われるいろんな言葉に一喜一憂が少なくなります。
そう、ジャッジをやめる、っていうのは、
観察者としての自分の意識を育てる、ってことでもあります。
観察者としての自分、です。
自分の思考や感情と一体化していない自分、
つまりはエゴを離れて、自分の意識に気づいている状態。
本質の自分へと戻っている状態、
悟りの状態、覚醒している状態。
いろんな言い方が出来ると想うのですが、
この観察者としての自分、という視点が持てると、
すご~く人生を生きるのが楽になっていくんですよ。
今まで、ただただ出来事に反応して、
いや~な気持ちをひきづっていたり、
他人の言葉や視線が気になって仕方なかったり、
そういうことがなくなっていくんです。
ありのままの自分でOK、そういう意識が、
どんどんどんどん育っていくんですよ♪
これは、すっごく心地よいことです。
自分に対しての言いわけ、っていうのも少なくなります。
自分の欲とか、短期的な欲求に振り回される、
っていうことも少なくなります。
自分の中に湧きあがってくる欲求も、
素直にそのままを受け止めることが出来るので、
つまりは、自分の欲求を観察できるので、
ただ欲求に反応する、っていう自分じゃなくなるんです。
一度観察してあげて、その上で、
その欲求にこたえるのか、それともいらない、とするのか?
それは、
反応的な生き方、いいかえると、無意識的な生き方から、
意識的な生き方への変容なわけです。
これは、すごい変容なんです!
一つ意識的な部分が出来ると、
意識的なあなたというのはどんどん拡大していきます。
無意識的な反応はあったとしても、
その反応を観察して、自分の自らの意志で、
一つ一つの選択をしてから行動に移すことも出来ます。
自分に気づき、その自分を観察、受け容れて、
新しい選択肢を見つけたり、選択肢を吟味して、
自らの意志で決断し、行動に移すことが出来る。
まさに、私がセッションでお伝えしたいことも、
こういうことなのですが、ジャッジをやめる、
観察者としての自分を育てる、というのは、
セッションを受けなくても出来るわけです。
むしろ、観察者としての自分が育っていなければ、
セッションを受けても効果的でない場合もあります。
セッションを受けることで、今まで観たくなかった、
自分のエゴや自分自身の嫌いな部分、認めていない弱み、
そういう部分を直視することになってしまう場合もあります。
準備が出来ていなければ、その痛みに耐えられませんから、
セッションを受けない方が良い、という場合すらあります。
安易にスピリチュアルに手をだすと、
本当に痛い目にあいます(苦笑)
私は、今までの無意識的な生き方を、意識的に変えていく、
っというのがスピリチュアルだと思っています。
目に見えない存在と繋がる、とか、
天使、とか、神様、とか、そういうふわふわした部分だけが、
スピリチュアルではありませんよね。
天使に繋がることで、今まで無意識的に使っていた、
自分の本来の力や可能性を使うことが出来るようになる。
チャネリングをするもそう、前世を観るもそう、
大いなる存在としての自分を意識するもそう、
この世界を創り上げている創造主としての自分を意識する、
っというのも、今までの無意識を意識にあげるためです。
私は、今のところはそういう結論をだしています。
以前はもっとなんかふわふわした、
心地よい天国のような世界がある。
そういうところをイメージして、
スピリチュアルにはまっていったのですが、
実際には真逆というか、そんな感覚すらあって(苦笑)
ま、それはともかくとして、
意識的な生き方、観察者としての自分を育てる生き方、
そのための第一歩として、ジャッジをやめてみる、ということ。
いかがだったでしょうか?
ジャッジをしている自分に気づく、というのが、
まずは大切なところです。
ジャッジをしている瞬間というのは、
最初のほうに書きましたが、無意識的な信念や習慣、
そういうものが反応している瞬間です。
だから、ジャッジをしている自分に気づく、
っていうのは、実はかなり高度なわざです。
往々にして、ジャッジをしている瞬間、
っというのはネガティブな感情が湧きでていますから、
ネガティブな感情になっている時は、
自分のジャッジに気づくチャンスですよ♪
最後に、
ジャッジをしている自分、というのも、
受け容れる存在である、っていうことも、覚えておいてください。
ジャッジをしている自分はダメだ、
なんていうジャッジもいらないわけです(笑)
どんな自分も、ありのままでOKです。
っというわけで、
今日もお読みいただきありがとうございます♪
ステキな一日をお過ごしください。
P.S
ありのままの自分と言えば、
アナと雪の女王、という映画観ましたか?
かなり感動しました♪
自分の力を解放していく感覚が伝わってくるし、
自分の内側の愛によって、呪いを解いていく。
自分自身に力を取り戻させてくれる映画ですね♪
おススメです☆
おはようございます。
市川学です。
5月7日のpure note特別ワークショップ、満席になりました♪
↓
pure note特別ワークショップ♪
こちらのワークショップでもお伝えしたい3つのこと。
自分の感覚を感じる。
調和するということ。
本質の自分で今ここにいる、ということ。
どれも、とっても抽象的かもしれません。
よくわからなくて、何の役に立つんだよ~、
って感じかもしれませんね。
でも、これが全て、と言ってもいい感じがしてます。
『本質の自分で今、ここにいる。』
特にここは、すっごい大事。
大事、っていうか、本質の自分も、
あなた自身も、今ここにいますよね。
ただ、その自分に気づいていないだけ、なんですよね。
だから、本質の自分でいることが大事だからといって、
それが偉いとかすごいとか、そういうものじゃありません。
ここは、強調したいところです。
で、普段の私達、というのはほっておくと、
エックハルト・トールの言葉を借りれば、
「頭の中の小さな存在に乗っ取られている。」
そんな状態。
頭の中の小さな存在、ていうのは、
エゴさん、思考、と呼ばれるものです。
そして、なぜ、本質の自分に気づけないのか?
と言えば、エゴさんは大事なモノを探してはいますが、
いっつも違う場所を探しているんです。
大事なモノが未来にある、と想っていたりします。
○○を手に入れたら、自分には価値がある、とか、
○○という地位についたら、自分は満足できる、とか、
○○という目標を達成したら、満足、とか。
あるいは、過去に起こった出来事で、
自分の価値を下げたりします。
○○という出来事が起こってしまった、
私の人生は最悪だ、とかですね。
こういう思考、全部、エゴさんです。
ただ、エゴさんも悪いものじゃありません。
エゴさんは、現実を体験していく意識、です。
そこで感じる感情、思考、行動、肉体を、
感じている意識がエゴさん。
そのエゴさんを観察している意識、
それが本質の自分であり、空、とよばれる意識です。
で、未来や過去に自分の価値を探し求めていたり、
なにか出来事が起こったり起こらないする、
そのことで一喜一憂するのが、エゴさんです。
それはそれでよし、と。
で、エゴさんが探している場所が違うんだ、と、
そう言う風に書きましたね。
本質の自分、空、という意識は、
今、この瞬間、にだけ存在できるんです。
私達は、今、この瞬間にいるとき、
思考やエゴさんから解放されて、
本当の自分としての存在を意識出来ます。
過去の出来事、過去に起きてきた自分史、みたいなもの、
そういうところに囚われるのが、エゴさんです。
そこから解放されるとどうなるんでしょう?
そこにあるのは、、、
無限の可能性や新しい自分への目覚めです。
一切の過去の出来事から解放されます。
今、ここをただただ感じて生きる、というのは、
ものすごく自分にパワーを取り戻していくことになります。
今、この瞬間に新しい選択が出来るんです。
過去に囚われた選択だけではなくて、
今、この瞬間にまったく新しい選択が出来る。
今まで怒りんぼだったけど、
今日から、今この瞬間から優しい人になることも出来れば、
今まで優しい人だったけど、怒りんぼなることも出来る。
優しい人も怒りんぼ、にも良い悪いはありません。
怒りのエネルギー、激情を使うことで、
得られる新しい体験っていうのもあります。
今まで使ってこなかった優しさ、というエネルギー、
それを使うことによって得られる体験があります。
その体験に良い悪いはなくて、
ただただ、本質の自分としては、
その体験を体験したかっただけ。
ニュートラルな状態が良い、とされていますが、
ニュートラルな状態を知るには、
ニュートラルでない状態を知らないと出来ませんよね?
バランスを崩さなければ、バランスがとれている、
という状態はわからないわけです。
ですから、一つ一つの体験に良い悪いは本当にないです。
エゴさんに囚われている状態がなければ、
エゴさんに囚われいない自由な状態、
っという体験は出来ないわけですよね?
これって、すっごく面白くないですか?
そして、こういうことを聞くと、
今までの体験の一つ一つを肯定していくことが出来ませんか?
自分にダメだし、しなくてよくなるんですよね。
一つ一つの体験を、それがどんなものであれ、
楽しんで、体験を味わう、っていうことがしたかったんです。
そのために、肉体を持って生まれてきたんですから。
だから、体験は体験として、しっかり味わう、
でも、その体験にこだわらない。
一つ一つ、ただただ観察していく。
そして、その中で自分が望む現実を選んでいけばいい。
ただ、それだけ。
過去でもなく、未来でもなく、
ここに書いてある言葉にもこだわらない、
それって正しいの?間違っているの?
そんなのもこだわらない。
まずは、あなたがこれを読んだ時の感覚を感じてみてください。
それが心地よいのか、なんだか心地悪いのか、
よくわからない、っていう感覚があるのか、
なんかもう少し言葉が欲しい、って感じなのか。
経験してきたからよくわかる、っていう感じなのか
それをただただ、感じてみる。
そして、必要なら取り入れてみて、
必要ないのなら、スルーしていく。
これが調和している、っていう感覚だと感じます。
これは正しいことを言っているな、素晴らしい、とか、
これは間違っている、こいつホントわかってないな、とか。
そういうジャッジをするとき、
そこに抵抗や摩擦が生まれてきます。
その抵抗や摩擦はどこから生まれるのでしょうか?
今までの過去の経験や知識、思考から、
つまりは、エゴさんからなわけです。
抵抗するとき、エゴさんに囚われています。
つまり、観察者としてのあなたの視点を忘れてしまうんですね。
本来のあなたの力が失われていくような感覚です。
抵抗することによって、それはブレーキとも表現出来ますが、
新しい体験をすることへのブレーキ、抵抗感、
新しい感情を味わうことへのブレーキ、抵抗感、
それは、本来あなたが味わいたかった感覚が味わえない。
っていうことになってしまうんです。
本質のあなたが喜ばない選択をしている、ってことです。
抵抗、摩擦、ジャッジ、ではなくて、
自分とまずは調和する、っていうことを感じてみてください。
自分と調和する、とは、
自分の内側の感覚や感情、思考、五感、
それらを観察して、ただただ味わう、っていうことです。
エゴさんをないものにしようとする、これも抵抗です。
そうではなくて、
エゴさんをエゴさんだと認識しながら、
エゴさんの体験を楽しむ、そういう観察者の視点。
その視点を持ちながら生きる、っていうことです。
その視点を持つためには、今、ここ、です。
本質の自分、真実の自分と出会う場所は、
今、ここ、今この瞬間、だけなんです。
過去の出来事、あなたのストーリーをまったく参照しなくていい。
そういう意識状態を創ることができますか?
その意識状態が、今ここ、と言えるかもしれません。
過去はあなたに一切関係ないんです。
学歴、職業、地位、名声、人脈、お金、
それらは今、この瞬間この場所にいるあなたに、
な~んの意味づけをもたらすものじゃないんです。
それらはあなたの価値を決めるものじゃない、ですね。
あなたという人を説明するためのただの要素、
ただの要素ですらない、ただの要素にすらならない、
と言ってもいいくらいです。
今、この瞬間だけがあなたにとっての真実であり、
全ては今、この瞬間に起こっていることです。
・・・・・・・・・
こういうことは、言葉ではなくて感覚の話しです。
感じるしかない話しです。
頭で理解するものではなくて、
身体で感じるもの、感覚です。
ここにある、と指をさして言えるものでもなくて、
ただただそこにはあるんだけど、これ!と言えないものです。
ただその意識が存在している。
・・・・・・
これを読み始める前のあなたと、今のあなた、
あなた自身を意識してみてください。
なんら変わることなく、圧倒的な存在感で存在している、
そのあなた自身を感じることは出来ますか?
10年前のあなたも、もっと前のあなたも、
これから10年後のあなたも、どのあなたも、
今この瞬間に存在しているあなた、なんですよ。。。
あなたはあなたとして、いつだって存在しています。
そのあなた自身を感じてみてくださいね。
では、今日もお読みいただきありがとうございます♪
ステキなゴールデンウィークをお過ごしください。
市川学です。
5月7日のpure note特別ワークショップ、満席になりました♪
↓
pure note特別ワークショップ♪
こちらのワークショップでもお伝えしたい3つのこと。
自分の感覚を感じる。
調和するということ。
本質の自分で今ここにいる、ということ。
どれも、とっても抽象的かもしれません。
よくわからなくて、何の役に立つんだよ~、
って感じかもしれませんね。
でも、これが全て、と言ってもいい感じがしてます。
『本質の自分で今、ここにいる。』
特にここは、すっごい大事。
大事、っていうか、本質の自分も、
あなた自身も、今ここにいますよね。
ただ、その自分に気づいていないだけ、なんですよね。
だから、本質の自分でいることが大事だからといって、
それが偉いとかすごいとか、そういうものじゃありません。
ここは、強調したいところです。
で、普段の私達、というのはほっておくと、
エックハルト・トールの言葉を借りれば、
「頭の中の小さな存在に乗っ取られている。」
そんな状態。
頭の中の小さな存在、ていうのは、
エゴさん、思考、と呼ばれるものです。
そして、なぜ、本質の自分に気づけないのか?
と言えば、エゴさんは大事なモノを探してはいますが、
いっつも違う場所を探しているんです。
大事なモノが未来にある、と想っていたりします。
○○を手に入れたら、自分には価値がある、とか、
○○という地位についたら、自分は満足できる、とか、
○○という目標を達成したら、満足、とか。
あるいは、過去に起こった出来事で、
自分の価値を下げたりします。
○○という出来事が起こってしまった、
私の人生は最悪だ、とかですね。
こういう思考、全部、エゴさんです。
ただ、エゴさんも悪いものじゃありません。
エゴさんは、現実を体験していく意識、です。
そこで感じる感情、思考、行動、肉体を、
感じている意識がエゴさん。
そのエゴさんを観察している意識、
それが本質の自分であり、空、とよばれる意識です。
で、未来や過去に自分の価値を探し求めていたり、
なにか出来事が起こったり起こらないする、
そのことで一喜一憂するのが、エゴさんです。
それはそれでよし、と。
で、エゴさんが探している場所が違うんだ、と、
そう言う風に書きましたね。
本質の自分、空、という意識は、
今、この瞬間、にだけ存在できるんです。
私達は、今、この瞬間にいるとき、
思考やエゴさんから解放されて、
本当の自分としての存在を意識出来ます。
過去の出来事、過去に起きてきた自分史、みたいなもの、
そういうところに囚われるのが、エゴさんです。
そこから解放されるとどうなるんでしょう?
そこにあるのは、、、
無限の可能性や新しい自分への目覚めです。
一切の過去の出来事から解放されます。
今、ここをただただ感じて生きる、というのは、
ものすごく自分にパワーを取り戻していくことになります。
今、この瞬間に新しい選択が出来るんです。
過去に囚われた選択だけではなくて、
今、この瞬間にまったく新しい選択が出来る。
今まで怒りんぼだったけど、
今日から、今この瞬間から優しい人になることも出来れば、
今まで優しい人だったけど、怒りんぼなることも出来る。
優しい人も怒りんぼ、にも良い悪いはありません。
怒りのエネルギー、激情を使うことで、
得られる新しい体験っていうのもあります。
今まで使ってこなかった優しさ、というエネルギー、
それを使うことによって得られる体験があります。
その体験に良い悪いはなくて、
ただただ、本質の自分としては、
その体験を体験したかっただけ。
ニュートラルな状態が良い、とされていますが、
ニュートラルな状態を知るには、
ニュートラルでない状態を知らないと出来ませんよね?
バランスを崩さなければ、バランスがとれている、
という状態はわからないわけです。
ですから、一つ一つの体験に良い悪いは本当にないです。
エゴさんに囚われている状態がなければ、
エゴさんに囚われいない自由な状態、
っという体験は出来ないわけですよね?
これって、すっごく面白くないですか?
そして、こういうことを聞くと、
今までの体験の一つ一つを肯定していくことが出来ませんか?
自分にダメだし、しなくてよくなるんですよね。
一つ一つの体験を、それがどんなものであれ、
楽しんで、体験を味わう、っていうことがしたかったんです。
そのために、肉体を持って生まれてきたんですから。
だから、体験は体験として、しっかり味わう、
でも、その体験にこだわらない。
一つ一つ、ただただ観察していく。
そして、その中で自分が望む現実を選んでいけばいい。
ただ、それだけ。
過去でもなく、未来でもなく、
ここに書いてある言葉にもこだわらない、
それって正しいの?間違っているの?
そんなのもこだわらない。
まずは、あなたがこれを読んだ時の感覚を感じてみてください。
それが心地よいのか、なんだか心地悪いのか、
よくわからない、っていう感覚があるのか、
なんかもう少し言葉が欲しい、って感じなのか。
経験してきたからよくわかる、っていう感じなのか
それをただただ、感じてみる。
そして、必要なら取り入れてみて、
必要ないのなら、スルーしていく。
これが調和している、っていう感覚だと感じます。
これは正しいことを言っているな、素晴らしい、とか、
これは間違っている、こいつホントわかってないな、とか。
そういうジャッジをするとき、
そこに抵抗や摩擦が生まれてきます。
その抵抗や摩擦はどこから生まれるのでしょうか?
今までの過去の経験や知識、思考から、
つまりは、エゴさんからなわけです。
抵抗するとき、エゴさんに囚われています。
つまり、観察者としてのあなたの視点を忘れてしまうんですね。
本来のあなたの力が失われていくような感覚です。
抵抗することによって、それはブレーキとも表現出来ますが、
新しい体験をすることへのブレーキ、抵抗感、
新しい感情を味わうことへのブレーキ、抵抗感、
それは、本来あなたが味わいたかった感覚が味わえない。
っていうことになってしまうんです。
本質のあなたが喜ばない選択をしている、ってことです。
抵抗、摩擦、ジャッジ、ではなくて、
自分とまずは調和する、っていうことを感じてみてください。
自分と調和する、とは、
自分の内側の感覚や感情、思考、五感、
それらを観察して、ただただ味わう、っていうことです。
エゴさんをないものにしようとする、これも抵抗です。
そうではなくて、
エゴさんをエゴさんだと認識しながら、
エゴさんの体験を楽しむ、そういう観察者の視点。
その視点を持ちながら生きる、っていうことです。
その視点を持つためには、今、ここ、です。
本質の自分、真実の自分と出会う場所は、
今、ここ、今この瞬間、だけなんです。
過去の出来事、あなたのストーリーをまったく参照しなくていい。
そういう意識状態を創ることができますか?
その意識状態が、今ここ、と言えるかもしれません。
過去はあなたに一切関係ないんです。
学歴、職業、地位、名声、人脈、お金、
それらは今、この瞬間この場所にいるあなたに、
な~んの意味づけをもたらすものじゃないんです。
それらはあなたの価値を決めるものじゃない、ですね。
あなたという人を説明するためのただの要素、
ただの要素ですらない、ただの要素にすらならない、
と言ってもいいくらいです。
今、この瞬間だけがあなたにとっての真実であり、
全ては今、この瞬間に起こっていることです。
・・・・・・・・・
こういうことは、言葉ではなくて感覚の話しです。
感じるしかない話しです。
頭で理解するものではなくて、
身体で感じるもの、感覚です。
ここにある、と指をさして言えるものでもなくて、
ただただそこにはあるんだけど、これ!と言えないものです。
ただその意識が存在している。
・・・・・・
これを読み始める前のあなたと、今のあなた、
あなた自身を意識してみてください。
なんら変わることなく、圧倒的な存在感で存在している、
そのあなた自身を感じることは出来ますか?
10年前のあなたも、もっと前のあなたも、
これから10年後のあなたも、どのあなたも、
今この瞬間に存在しているあなた、なんですよ。。。
あなたはあなたとして、いつだって存在しています。
そのあなた自身を感じてみてくださいね。
では、今日もお読みいただきありがとうございます♪
ステキなゴールデンウィークをお過ごしください。
