生きている意味なんてない、からスタートしよう。
今日はこんな話しをしようかなぁ、と。
満月からの浄化のエネルギーもありますし、
自分とどんどんと向き合っていくチャンスです。
で、生きている意味なんてない、からのスタート。
これは、自信を失え、とか、
自分の価値を認めるな、とか、
そういうことではありません。
生きている意味は与えられるもんじゃなくて、
自分で創り上げていくもの。
そして、自分の人生に意味を創っていくのは、
その瞬間瞬間の自分の選択です。
その選択が自分という存在を創り上げていく。
だから、、、
もし、本当に自分の人生に、
自主的に意味を創り上げて生きたのであれば、
流されて、ただ漠然と生きてるだけじゃダメ。
良いとか悪い、とかはない、
っと言われるけれど、漠然と生きてたら意味は創れない。
なぜなら、その生き方には、
自分自身が誇りを持てないだろうから。
でも、、、
逆に言えば、
今この瞬間瞬間の選択を、一度踏みとどまり、
本当にこれでいいのか?と自問自答して、
迷いながらも進むなら、必ず意味は創れる。
大事なのは、人生の意味、なんていうものは、
与えられるものじゃない。
自分で創り上げていくものだ、っていうこと。
他人からどう見られるか?っていうことも大事、
でも、どういう人生を生きていても、
自分が満足できるなら、それが一番だってことです。
なにか満足出来ないことがあるのなら、
それはなにか改善するチャンスなんだろうし、
今の自分、今の現実、っていうのを、
直視して向きあう、っていう機会なのかもしれません。
【足るを知る、の前に???】
「足るを知る」
とか言うけど、頭だけでこれをやっても意味がない、
って私は感じます。
「足りない!」
って、心が言っているのなら、
なにかが足りないのでしょう。
その心の声をちゃんと聞く方が大事、って感じる。
「足りない!」
って心が言っているのを聞いて、
そしたらはじめて、自分が執着しているモノに気づくかも。
自分が執着している、ってことに気が付くことが出来たら、
そこで初めて、執着を手放す、っていうプロセスに入れます。
で、執着が悪いもの、のように語られるけど、
本当にそうでしょうか?
って、こうやっていろんなことを、自問自答して、
自分の答えを出していく癖をつけたいですよね。
釈迦は苦行の果てに、苦行をするのは意味がない、
という結論を出して、中庸がいい、ってなりました。
でも、釈迦はもともとなんで苦行をしたのでしょうか?
それは、バラモンの教えと言うのがあって、
バラモンではこの世にはどうにもならないものがある。
この世では難行苦行をすれば、
来世では幸せになれますよ、
っていう基本的な教えがあります。
その教えに従って、釈迦は苦行を始めます。
さてさて、じゃあその、
バラモンの教え、っていうのは、
どうやって出来たのでしょうか?
って、そもそもをたどっていくと、
いろ~んなことが見えてきます。
で、全てがそう、っとは言わないのですが、
バラモン教っていうのも、その時代の支配者が、
より人々を支配しやすいように、自分に権威をつけるために、
創っていったもの、に見える部分があります。
バラモン、っていうのは、
インドのカースト制度の一番上の階級で、
時代と共に変わっていったようですが、
宗教を創る人達に優位になるように出来てます。
歴史を調べてみると、
バラモン教、っという宗教自体も、
時代によって変わっていってますが、
細かいところは、ここでは省きますね。
単純化して、書いている、
っていうところはあるので、
ちゃんと調べてみると面白いと思いますよ♪
で、カーストっていうのは、
生まれによって決まっていて、
生まれてからの変更は出来ません。
現在のカーストというのは、
過去に行ってことの結果であるから、
それは無条件に受け容れて、
この世は善業を積み、未来のカーストに期待せよ、と。
つまりは、この世では難行苦行をして、
未来世での幸せを祈りなさい、と。
で、釈迦は、この教えにそって苦行に入ったわけです。
ですが、あるかもわからない未来世、
というものに、盲目的に期待していいのか?
っという疑問が浮かんだこと。
そして、いくら苦行をしても、
楽を求める心がある限りは、
欲望はエスカレートするだけで、
さらなる苦行をするしかなくなります。
欲望を追いかけるだけの苦行は意味がない、と。
そう気づいて苦行林から出たそうです。
・・・・・・
釈迦物語は、まぁこのくらいにしておきます。
釈迦もいろいろな教えを信じる、わけですよね。
で、自問自答をし続けて、
自分なりの結論をだして生きていったんですよね。
で、瞑想をする中で、
これこそ真実だ!と思えるものを、
これまた自分の中から出して、
そして、その教えを世に広めていった、と。
その教えに共感する人達がいたから、
釈迦の教えは広まったんですよね。
現代に生きる私達も、
自らの内側から答えを出していく、ということは、
していく必要がある、と思っています。
そうじゃないと、いつまでも受け身。
それは、カースト制度なんてないのに、
自分に自分で身分をつけて、
例えば、専業主婦だから、とか、
会社員だから、とかそれが身分、みたいなもんですよね。
そういう身分、違う言い方をすれば、
『セルフイメージ』を自分で持って、
そのイメージとしての自分に縛られている、と。
ここで一つ疑問なのは、
「あなたは本当にそのイメージを持ちたいの?」
っていうところですよね。
「あなたはそういう人間として生きていきたいの?」
っていうか。
生きているのに意味なんてない、と、
最初に書いたのは、意味を求める、という在り方から、
意味を創り出す、という在り方にシフトしてみる、
そういう提案なわけです。
生きている意味を自分で創りだすのなら、
自分という人間が、いったいどういう人間なのか?
それを自分で定義していく必要があります。
定義していく中で、
本当の自分の本音、っていう部分に触れて、
自分を縛っているイメージに気づくことができます。
さらに、その鎖を外すのか、持ち続けるのか、
その選択をすることが出来るようにもなります。
シンプルな問い、にすると、、、
『あなたはどんな人で在りたいですか?』
『どんな人生を歩んでいきたいですか?』
こんな問いになります。
答えを100個くらいは、
ノートに書き出してみることをお勧めします。
逆に、
「在りたくない姿はどんな姿ですか?」
「こういう人生は嫌だ!と想う人生はどういうものですか?」
これも、書いてみることをお勧めします。
実際に、毎週1回、
ノートに100個ずつ、
これを書き出して人がいます。
しかも、それを今でも続けています。
その人は、どんどんと自分らしさ、
本当に在りたい姿、というのが明確になっていき、
今では自分の軸を持って、生きています。
毎週じゃなくてもいいですが、
満月になるたびにやってみるとか、
1年に1回はせめてやってみる。
そういう時間を自分に与えてあげてもいいのでは?
これは、自分のためにやることであって、
他の誰にも見せるものではないですから、
心の中にある妄想、みたいなもの、
人には言えないことも全部書く。
それが掟です(笑)
掟、というと大げさですが、
自分の内側の本音をさらけだす、ってことですね。
最初はなかなかでてこないものですよ。
世の中的に、常識的に、
こういう風に考えるべきでしょ!
みたいなものが出てきてしまって、
自分の本音が隠れている感じです。
しっくりこない感覚、っていうのが在ると想うので、
その感覚を頼りに、やってみてください。
自分の感覚を研ぎ澄ませることにもなりますし、
書き出してみると、自分の内側が静かになってます。
そういう状態で、瞑想をする、
っていう時間をさらに持ってみると、
今までは感じたことのないような、
ふか~い感覚が感じられるかもしれません。
その感覚を味わってから、
自分の書いたものを観てみると、、、
「あ~、これウソだ、ただのカッコつけだ(苦笑)
本音は、こっちだな。。。」
ていうのが、見えてくるんですね。
で、本音がでてくる、っていうのは、
すっごく自分には優しいことです。
本音がでてきてはじめて感じる感情もあります。
はじめて気づく、自分を縛っている鎖もあります。
普段は、鎖が見えないので、
鎖が見えるようになる、っていうのも、
すっごく優しいです。
【自分に優しい、でも、、、】
でも、本音が見えるようになるまで、というのは、
ある意味じゃ苦行みたいなもんかもしれませんね(笑)
なぜって、
ノートに自分がどう在りたいかを書きだす、
なんて、人によっては苦行でしょう(苦笑)
癖になると、やらずにはいられないんですけどね(笑)
なんだかんだと長くなってしまいました、
今日もお読みいただきありがとうございます♪