三日月、意識、今、この瞬間。 | 大好きをいっぱい共有させてもらいたい。

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こんばんは。

市川学です。


桜がとてもキレイに咲き誇っていますね♪

新月から、時が少しずつ過ぎ、
空を見上げた時に三日月が、
思いがけず目に飛び込んできました。

宇宙のリズム、呼吸を感じた瞬間でした。


エゴに対する学び、気づきをへて、
苦しみが完全になくなる、っという体験をしました。

しかし、エゴの巧みなところは、
その気づきをよりどころにして、
また、新しいエゴを育てるところです。

「俺は、気づいたんだ、これこそが悟りだ!
苦しみはなくなったんだ!」

そういう思考が、また新しい苦しみを創り出します。

そして、
「どうしたっていうんだ?
あの気づきはなんだったんだ?
夢か、幻か?

やっぱり俺は悟っていないのか、
なんの気づきも得ていないってことなのか?」

自分の本質に気づくような体験をした方なら、
こういう体験があるのではないでしょうか?


そして、自分に対する優しさが、
自分に対する愛が必要なんだと、気づきました。

「エゴに気づけば、もうそれは完全なエゴではない。」

エックハルト・トールはこのように語っています。

私達は、いつだって、気づいている必要があります。

それは、無意識ではなく、
意識的である、ということです。


苦しみや怒りを感じるようなとき、
私達は、外側の人や出来事に苦しさや怒りの原因がある、
っと当たり前のように考えていますよね?

実際、その出来事や他人の存在が、
その感情を味あわせているように思えるのですが、
実は、その感情は、もともと自分の内側にあります。

そして、この抽象的な概念より、
さらに深い部分で大事だと気づいたのは、
苦しさや怒りを感じている自分を、
ただただ、今この瞬間に愛する、ということです。

苦しみや怒りを感じている自分を、
慈しむ、という感覚です。

「それは辛いよね、わかるよ。」

っと、声をかけてあげる感覚です。

。。。

調子の良い時、自分のことを愛するのはカンタンです。

なにかを達成した時、なにか人から褒められた時、
今まで出来なかったことが出来るようになった時、
心が満たされている時に、自分を愛するのはカンタン。

ですよね?

感謝が大事だよ、って言われたら、
「そうですよね、私もそう感じます。」

って言えるような時、
自分を愛する、って、簡単に出来ます。


でも、苦しみが自分を支配している時、
怒りに満ち溢れているとき、
無価値観を感じるような時、
自分を愛する、っていうのはなかなか難しい。

私は、そのように感じてきました。

しかし、、、

真に愛が必要だったのは、
苦しんでいる自分であり、怒っている自分であり、
無価値観を感じているような時にこそ、
無償の愛、自分を慈しむ気持ちが必要だったんです。


私はこのことを、言語化して、
理解出来たのは初めてです。

ですが、
音を通して、私はこの癒しを受け取っていました。

あるいは、
新しい知識を学ぶ時、コーチングを受けた時、
自分の可能性に気づき、未来に希望を感じる時。

癒しの音を求める時、私は、満たされていなかったんです。

新しい知識を学ぶ時も、コーチングを受けよう、とする時も、
どこか、満たされていない自分がいたんです。

その時には、そのことにすら、
気づいてはいませんでしたが。。。


あなたも、もしかしたら、
今、この記事を読んでいるということは、
もしかしたらですが、満たされていない自分を、
なにかのきっかけを得て、自分を満たそうとしているのかも。

しれませんよね?


満たされていない、ということは、
新しい行動をするきっかけになります。

絶望の時は、実は絶望の時ではありません。

なぜなら、絶望している時にこそ、
希望の輝きに気づくことが出来るからです。

今、実際に苦しい体験をしていたら、
この言葉はただの気休めにしか聞こえないかもしれません。

でも、実際にそうなんです。

だから、絶望している自分というのは、
愛を必要としているし、そして、
絶望している自分も愛されていいんだ、とわかること。

その感覚が、なによりの希望になることでしょう。


未来に、なにかを達成したら、
愛を与えられるわけではないんです。

今、この瞬間に、愛を受け取っていいんです。

いつか、本質につながるのではないんです。

今、この瞬間に、本質につながることが出来るのです。

本質につながる、という表現も違うかもしれません。

本質に還っていく、今ある本質に気づく。

そのような表現の方が、より適切かもしれません。


エゴに支配された状態、
苦しみや怒り、絶望という感情を感じていて、
その思考に支配されて、それと自分を同一化して、
自分には価値がない、というような思いこみを作ります。

ですが、
どんな感情を感じていようと、どんな思考の状態であろうと、
それは、あなた自身、とは全く関係ないことです。

エゴ、とあなたは、別々の存在である、
っと言っても良いでしょう。

エゴが、あなたはダメだ、と思いこませようとします。

その、エゴに光を当てて、気づいてください。

光を当てるというのは、意識的である、ということです。


そして、それは今この瞬間にただ、在る。

っということでもあります。

心の痛みではなくて、
身体に痛みがある場合はわかりやすいのですが、
痛みにフォーカスするのではなく、
身体、そのものにフォーカスしてい見るのです。

身体の痛みは、
そこから出ている一種のエネルギーであることがわかります。

そのエネルギーを感じるんです。

そのエネルギーにフォーカスします。

そして、その痛みを排除しようとするのではなくて、
その痛みにこそ、一番暖かい愛を与えるのです。

光のシャワーをかける、というようなイメージです。

痛みに抵抗をするのではなく、
受け容れていく、ということでもあります。

そうすると、エネルギーとしての痛みは、
徐々に徐々に、軽くなっていきます。

抵抗が大きければ大きいほどに、
痛みも大きくなっている場合があります。

その場合は、時間がかかるかもしれません。

あるいは、違う場所に痛みがあらわれるかもしれません。

身体を観察してみてください。

その痛みのエネルギーはどこからきて、
どこへいこうとしているのか?

呼吸やヨガをしていると、
身体を理解するのにはとても役立ちます。

硬くなっている筋肉や、
ずっと動かしていない部分、
意識すらしたことのないような、
身体に気づくことが出来るからです。


あるいは、筋トレをしてみるのもいいと思います。

身体のエネルギーが外にでていくからです。

痛みのある部分に、グッと力を入れてみる、
というのも効果がある場合があります。

筋肉が収縮して、新しい血液の流れが出来るからです。

こういうことをしていると、
自分の身体が、これほど緊張していたんだ、
っと気づく時もあります。

本来の呼吸の深さを取り戻せる時もあります。


心の痛みであれ、身体の痛みであれ、
それはなにかしらのメッセージです。

愛を持って、受け止める必要があります。

そのメッセージは痛みを通してかもしれませんが、
心からの、身体からの愛に溢れたメッセージだからです。


こういう感覚を「サレンダー(降参)」
っというのかもしれません。

身体や心からのメッセージに、抵抗をするのをやめ、
そのまま受け止めていく感覚です。

痛みを批判するのもやめて、
痛みを排除するのもやめて、
そのままを認めて、受け容れていくんです。

このプロセスは、あなたに新しい気づきを、
そして、習慣化されているパターンへの気づき、
となっていくことでしょう。

すると、あなたは新しい選択が出来るようになります。

新しい可能性が見えて、希望を感じ、
それは、今、この瞬間のあなたの波動が変わることを意味します。


波動が変われば、引き寄せてくるものも変わります。

この旅には終わりはなく、
「ここまでいったり悟り、はい終わり。」

っというようなものでもなく、
生きている限り、魂の存在になっても、
ずっとずっと続いていくんだと感じます。

この現実の創造を通じて、
私達の魂は喜び、楽しみ、
また新しい創造を愛しているんだと思います。


現実を変えたい、と願うことは、
現実に抵抗をしている、魂の創造に反発している、
「今の現実では充分ではない、冗談じゃない、
こんな現実、誰が受け容れるか。」

っと抵抗している状態、戦っている状態、
っと言えるでしょう。

戦いに勝ったとしても、
その勝利は、また新しい戦いを引き寄せます。

もっと欲しいという欲望であったり、
他人と比較して、まだ充分ではない、という恐れであったり、
せっかく創り上げた現実を失うのではないか?
そうしたら自分は愛されなくなるのではないか?

そういう不安や恐怖、それが戦いを呼びます。


ただ、自分で在る、ということ、
今、この瞬間に在る、ということ。

一つ一つの感情や身体の感覚、
内なる声に目覚めていくということは、
無意識に気づいていくということは、
その次元からの超越を意味しています。

別に、次元を超越するから偉い、とか、
そういう意味ではありません。

ですが、心の内側の戦いをしている、
っということに気づき、それをやめていくと、
今までにはない安らぎ、平安が訪れます。

今、この瞬間に、今までの全ての経験に、
感謝や愛を感じてくるでしょう。

感謝や愛、という感情すらも、
超えているような、圧倒的な感覚を感じるでしょう。


それが、今、この瞬間に在る、ということの意味です。

問題を解決する、っというような戦いのスタンスではなく、
問題とともに生きる、っとでも表現すると良いのでしょうか?

しかし、問題はもはや問題ではなくて、
そう、それが抵抗をやめる、ということです。

まったく新しい可能性や道に気づくことです。


頑張るのをやめていい、
ってそういうことなんですねぇ~。

頑張らなくていい、努力ってしなくていい、
誰かに認められようとしなくてもいい、
本当にあなたがしたいこと。

それを、そのまま表現していい。

今、この瞬間の魔法を、
あなたも感じてくださいね♪

それでは、また☆

本日もお読みいただき、ありがとうございます。