朝、虹を見ました。希望の光のように感じました。
砂浜に一つの名画の様に打ち上げられた廃船に出会いました。
以前この構図を見て知っていたように思いました。
不思議な出会いがあって、私は石垣島の浜辺に立っていました。
それから七年近く石垣島民になるとは、思っても見ませんでした。
それはレムリアの地でした。
石垣島の文化は、本土のヤマトとは異なる文化があります。
八重山と呼ばれる石垣島は、山が幾重にも重なっている島でした。
500メートル級の高さの山々がありました。
超古代石垣島からインドまでつながる大きな大陸がありました。
レムリア大陸と呼ばれていました。
文化文明医学科学技術が進みました。人々は豊かでしたが、
五種族の肌の色が異なる人達に争いが生じました。
五種族は赤い人、黄色い人、黒い人、白い人、青い人達でした。
戦争が起き、化学兵器のために地殻変動が起きました。
そして大半のレムリア大陸が10年ぐらいかかって水没してしまいました。
八重山は沈まずにいました。レムリアの人達は水没した時に、
海底の下で生活し地底の人となりました。
八重山の洞窟から海底の大きな洞穴に抜ける
道を探し多くのレムリア人が逃げて行きました。
今も石垣島には大きな洞窟がありますが、
地底に続く道が今もあるかどうかは分かりません。
レムリアが沈んだ時、地底の東の端まで行き、
アメリカ大陸の出口を見つけて大地に住んだ
黄色の肌の人達はインディアンになりました。
他のレムリアの人達は八重山諸島に住んで、
沖縄の人となりました。
レムリアの人達が今も地底に住んで、
独特の文化を築いているかもしれません。
明治の初め琉球王国から沖縄本島、
石垣島は日本になりました。
ウミンチュは海で働く人です。海の人は、
レムリアの流れを組んだ誇り高き人々です。
石垣の人達はスピリチュアルな人達が多くいます。
島のユタと呼ばれる存在は、野のヒーラーです。
相談事、儀式ごと、人の生死や病気の癒やしなど
頼りにされる存在です。
感性豊かな人達です。頼りにする人も純粋な人達です。
レムリアの地に呼ばれるようにして島民になりました。
しかし用が終わった時、横須賀と東京に帰されました。
今も思います。美しい海と豊かな地と、
少しの間、石垣島民として住み、
レムリアの意識を感じたことは、
その後の私の仕事に大きな影響を受けました。