孫たちの文化祭、学園の帰り宇都宮の駅にて
餃子で有名な宇都宮
夕食代わりに餃子を食す。
やっぱり、美味しいね~❤感謝
=========================
専門学校卒業後の夫の予定が経っていない。
答えをだすのにぐずぐずしていて、はっきりしない。
どうするつもりなのか?
正月も終わり、2月には卒業だ。
はっきりしない間々、時は過ぎた。
子供達の学年が二年生と、三年生に進級した。
夫は既に卒業して、今までバイトで居た職場にそのまま
就職をした。
子供達に不安を与えないように、休みにはお菓子作りを始めた。
金銭的に非常に厳しかったが、とにかく毎日を楽しく過ごせるように、子どもたちの前では笑顔を絶やさないようにした。
ある日の夕食、冷蔵庫にはジャガイモとバターしかなかった。
その頃の私は、台所に立つと涙があふれていた。
それでも、子供たちに私の泣き顔を見せてはならない、と決め
「さ~♬今日は特別メニューだよ~♪♪♪」とじゃがバターの料理を出すと、「わ~♪やったー!!!」と大はしゃぎ。
この話は、娘たちが高校を卒業するころに話すと「えーーー!
そうだったの❓」と三人で笑い話になった。
このころまでは、まだ未来が見えていた。
目標があったから、何があっても楽しかった。が、
前が見えなくなってきた。
そこで、3っつ提案をした。
1,まだ、そちらで修業をするのか?修業をするなら子供たちが
不安になり始めているから、私たちも一時的にそちらに行っ
て、暮らすこと。
2,私たちは、あなたの仕事の目途がつくまで私の実家に一時的
お世話になるり、実家で待つ。
3,帰ってきて、開業する。
夫に宣言する。「夏休みに入るまでに、どうするか決めて、決められない場合は、実家に帰ります。」と
6月、子供たちの運動会があった。その頃には、私の決意が固い事を少しづく分かってきていたようだが、それでも夫は決められなかった。夜中、夫とひざ詰めで一晩中話し合った。
私が提案した内容に、どれ一つでも決められないようなので
「結局、あなたはどうしたいの?」と詰め寄ったが、それにも答えられなかった。
私は「分かった」と一言。
その頃、私身体に異変がおきていた。
出血が止まらないのだ。それも、大量の出血だ。
一時間ともたなくて、頻繁にトイレに通った。
そんな日が2~3日続き、その異状さから大きな総合病院に検査をしてもらいに行った。
痛いとか、気持ち悪いとか、その類ことは無かったが、
体がどんどん冷えていくのはわかった。
検査結果は異状なし。どういこと???
(その時はわからなかったが、これが霊的現象だったようだ)
その後、専門学校の時の仲間である夫の友人に連絡を入れ、事情を説明して、間に入ってもらえるようにお願いをする。
その友人曰く、夫から聞いている話と全然違う。と驚いてみえた。その友人は既に開業しておられたので、店が休みの日に都合をつけて下さり、その日私はそこに向かった。
3人で話し合いが始まったのだが、私はもう言葉が出て来なかった。思考停止、一時的な失語症みたいになっていた。
それまでにどれほど夫と話し合いをして来たか、運転して、その話し合いの場所に来るのが精一杯だった。
間に入ってくれた方も、私と似たような提案を3っつして、夫はその中の別居を選んだ。その方も「分かった。その別居についてだけど、お前は親に話すときに、一時的の別居になるけど、自分の仕事の目途がついたら、奥さんと子供さんを連れ戻すからな。って言うんだよ。」と知恵をつけて下さった。
私もそれで了解をした。
夫は実家に帰り、両親に報告にいった。
帰って来て私に告げる「親には、あいつはあいつの実家に帰るから、もう戻って来ないから」と
その時、観えたもの・・暗闇に2本の線路が観えた。線路の足下駄、敷き詰められているごつごつした石。その線路の先はプツリと切れて真っ暗闇に消えている。
終わった。夫婦の縁は切れた。
夫は帰っていった。
明くる朝、子供たちを学校にいつもの様に明るく「いってらっしゃーい!」と見送り、私は作業台の椅子にストンと座った。
私の人生はいつまでこんな事を繰り返すのか、そう思ったら、
大きな岩が私の肩にのしかかり、潰れそうだった。
すると、自分のそれまでの人生が走馬灯のように額のあたりで繰り広げられた。そこに生きてきる私は、何時も一生懸命に生きていた。傷つけたり傷ついたりしたかもれないが、どんな時にも前を向いて一生懸命に生きている自分が見えた。「こんなにも、
一生懸命生きて来た私、この人生を私が愛さなくて誰が・・」と思った瞬間、「愛されている。神様に愛されて来た」と実感した。すると、忽然と目の前に黄金の海が広がった。そして、私は絶壁の上に立っていた。静寂の中に静かにないだ黄金に光る海、小さな波がキラキラと光る海。その向こうに水平線が見える、その水平線からも黄金の光がほとばしり出ていた。そよそよと、耳の端をやさしく風がよぎる。
そこに立っている私は、少しばかり髪が長い。
ふっと我に還ると、目の前にはガラス越しにお隣さんの塀が見えた。「愛されて来た私、今度は愛する側に立ちたい」
私は、何かをしなければいけない。その何かをする為に生まれてきた。と・・・
それからは、その「何か」を探した。新聞もテレビのニュースも・・・
母に電話をして「夫と別居になったから、悪いけどアパートを至急探してほしい」とお願いする。母もそれまで私がある程度話していたから直ぐに探してくれた。
アパートは直ぐに見つかった。その時期としては普通は無いそうだ。が、一軒だけ開いているからと母が全部助けてくれて、運送屋の手配もしてくれた。その、霊的体験から1っ週間で引っ越しは決まった。夏休みも終わる頃だった。
つづく
次回は最終章になります。
※無断転載禁止