産業医との面談に疲れました。 | ともの闘病日記(うつ病)

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2017年11月6日に「うつ病」と診断され、回復までの「つぶやき」や「泣き言」を投稿してみます。
【注意事項】感情の起伏が激しい為、過激的な内容になっています。
読んでくださる前には過激な表現・内容になっていることにご注意ください。
※2020.07.03タイトルを変更

自社に行ったのがつかれたのか、それとも初めてあう産業医との面談につかれたのか
どちからわからないけれど、かなりの疲労です。

嫁も一緒に面談に参加してもらい、途中なんどもヘルプを出しながら、なんとか
終わった。

ただ、部屋を出た瞬間からめまいがはげしくなり、1Fロビーに降りた瞬間に
断てなくなり、しばらく座っていた。

足取りもかなり怪しい状況でした。

面談中・・・正直何を話したのかすら覚えていない。

苦しかったのだけははっきりと。

産業医の質問も、主治医とは異なり、状況がわかっていない状態で質問をされるから
何を聞いてきているのか、理解できなかった。

嫁曰く、そつなく会話をしているだろうけれど、本人はたぶんまったく覚えていない
ということを総務の方につたえていた。

まったくその通りでたぶん会話はしていたけれどずっと質問攻めで正直何を聞かれ、
何を回答したのかまったく覚えていない。

ただ、パニック状態になっていたのは事実。

産業医・総務の方、双方に対して恐怖心があり、また自社ビルの中にいるだけで
かなりの恐怖。その恐怖と1時間くらい闘いながらもなんとか面談は終わった。

ぶっ倒れてしまいそうなところを嫁に助けてもらいながら、出向先に戻った。

出向先に戻った瞬間に安心をしたのか、まだパニックしているのか、わからなかった
けれど、糖分が不足し、パンを買って食べていた。

また太るのは分かっていても、今日は無理。

我慢の限界を超えています。

産業医から何か気になることは無いかと言われ、それが言えればだいぶ改善は
されているのだろうとはおもうえれど、何も言えなかった。

本当は退職をさせてもらえないかという相談もしたかったと思う。

生死に関しても聞かれたような気がする。そこだけはまちがいなく死を選んだはず。

覚えているのはこれくらい。

あとはパニックづかれ。

こうやってブログを書くのも疲れて、元気もでない。