先生が「必ず正しい」とは限らない | ぽてなまの~と 【ときどきADHD話】

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「なまいき」で「なまけもの」な「ぽてたろう」のノートです。
日常のあれこれや、その日考えたこと、そしてADHDや発達障害についての「あるある」などを書いてこうと思います。

 

先生が「必ず正しい」とは限らない

 

私は前の東京オリンピックの年生まれ。生粋の「昭和のこども」で、幼稚園の頃から「先生の言うことは正しい」「先生に逆らっちゃダメ」だと叩き込まれて大きくなった。「親に」というよりは「周囲の大人に」だ。

 

幼稚園や学校で「叱られた」話をするのは損だ。「家で親にもっと叱られるから」と、思い込んでいた。でも、うちの父母って、そういうコダワリのない人間で、子供の頃はちょっと混乱したりもしていた。

 

たとえば、小学校3年生のとき。担任はゴリゴリ左翼の人で、クラスメイトは「初めて出会う左翼思想」に紅衛兵よろしく興奮気味だった。私もその一人で、あるとき仕事から帰ってきた親をつかまえて言った。

 

「ねえねえ、知ってる?『君が代』って日本の国歌じゃないんだよ。だから音楽の教科書には『日本古歌』って書いてある。日の丸も国旗じゃないんだって。法律にはそんなことは全く書いてないんだって。今日先生が言ってた!」

 

一応、“お若い方”のために説明しておくと、「国旗及び国歌に関する法律」が制定されたのは1999年(平成11年)と、意外に最近のことだ。それまでは、「日の丸」に関しても「君が代」に関してもうやむやにされていて、学校などでは問題の火種だった。

 

たぶんその夜、父と母は話し合ったらしく、後日「大事な話があるから」と座らされた。まとめると、

 

「世の中には1+1=2のように『1つしか正解がない』ことは少ない。国旗と国歌については、いろいろな人がいろいろな意見を持っている。先生が『間違っている』のではないが、先生とパパ・ママの考え方は違う。パパもママも『君が代』を国歌だと思っているし、『日の丸』が国旗だと思っている。どちらも大事なものだと思う」といった話をされた。

 

「どちらも間違いではない。考え方が違うだけ」というのはスッキリしなかったが、私の中に「必ずしも先生が言うことが絶対に正しいわけじゃないんだな」という意識が生まれた。

 

それから数カ月、ある事件があった。私は1階の教室の窓越しに、中にいる同級生と話をしていた。そこへ「あ、危ない!」という声が上からしたので、思わず上を見てしまった。

 

目のすぐ脇、鼻の付け根のあたりに黒板用のでっかい三角定規が落ちてきた。3階の教室の窓際で三角定規を持って遊んでいた男子が、思わず手を離して落としてしまったらしい。

 

幸いなことに、目頭がボワンと腫れただけで大きなケガにはならなかった。だが、件の担任にものすごく叱られたのだ。

 

「なんで窓際なんかにボーっと立っていたんですか? キミが悪い!」

 

私は頭の中で「三角定規を落としたヤツが悪い」と思っていたのでびっくりした。

 

「え? 私が悪かったのか!」

 

勢いで、その男子に謝罪までさせられた。

 

目の腫れはだんだん引いたが、今度は青あざになってズキズキする。でも、親には「どうしてそうなったのか」言えなかった。だって先生は私が悪いと言って、謝罪までさせたのだから。

 

親に追求されても「う~ん、私が悪かったのよ」と繰り返すだけだった。本当に「私が悪かったのだ」と思い込んでしまっていた。

 

だが、父が帰宅して私の顔、しかも目のすぐ脇に傷があるのを見つけると、もうダンマリが通用しなくなった。困っていたところへ、例の三角定規男子が父母同伴で謝罪に来てしまった。

 

「このたびは大切なお嬢様のお顔にケガをさせて……」というわけだ。

 

どうも三角定規少年も「あれ? なんかおかしい。俺が謝罪する側なんじゃないのか?」と悩んで、母親に相談してこっぴどく叱られたらしい。保健室にも行かないまま帰らされたので、傷も心配だったそうだ。

 

父が激怒した。三角定規少年にではなく、担任教師に対してだ。私に対しても怒っていた。

 

「なぜ、自分が悪くもないのに謝ったんだ!?」

「だって、先生がそう言ったから……」

 

その当時は「なぜ『ぽての方が悪い』という話になったのか」、親も私もピンとこなかった。だが、大人になってADHDだと診断されて、当時担任は私に対して「いろいろ思うことがあったのだろうな」と考えるようになった。

 

これは「1+1」とはちょっと違う問題だけど、見る角度が違えば状況は全く違って見える。「大人が言うから」ではなく「自分で状況をきっちり把握しなければいけない」という教訓になった。

 

それから50年たって、三角定規氏はアメリカに住んでいる。たまに帰国して顔が見えれば立ち話をするぐらいの関係だ。ご近所さんだから、彼のお母さんにはバス停やスーパーやいろいろなところでしょっちゅう会う。ガーデニングの達人なので、アドバイスをもらったりもする。

 

そして、ときどき思い出したように謝罪されてしまう。

「あのときは息子がごめんなさいね。ぽてちゃんの目が無事で本当に良かったわ。私、あのときのことを考えると、いまだに足が震えちゃうのよ」

 

 

 

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