今日はサイクリングの日
叔母のママチャリを1台犠牲にした件
私の夏休みは、ほとんど「ママの骨休めタイム」という感じだった。うちは私が物心ついた頃から共稼ぎで、小学校に上がる頃にはママもフルタイムで仕事をしていた。鍵っ子だから家に1人でいるのは苦痛ではないが、ママの方が気になってしょうがないのだ。というわけで「遊びに行く」という名目で、祖父母の家や叔母の家に2週間ぐらいずつ居候したりしていた。
叔母夫婦には子どもがいないので、泊りに行くだけでも喜んでくれた。「仕事から帰ってきて家に電気がついているのって素敵ね~」と、小さいことで感激し、可愛がってくれたので居心地がよかった。目当ては叔父がローンで買って「飾り」に成り下がっていた「世界文学全集」で、ほぼ1日中寝っ転がって本を読んでいた。
4年生の頃だったか、叔母の家に買ったばかりでピカピカのママチャリが1台あった。私はまだ自転車に乗れない。補助輪つきも経験がない。うちのエリアは子どもの交通事故が多かったので、両親が買ってくれなかったのだ。ためしに叔母に「自転車の練習してみたい。おばちゃん、自転車借りてもいい?」と聞いてみた。いつも本ばかり読んでいる姪っ子に危機感があったのか、二つ返事で「いいよいいよ、やってごらん」と叔母は言ってしまった。あぁ、後悔先に立たずだ。
このブログには何回も書いているが、私は不注意型のADHDで、運動神経がすこぶる悪い。舗装していない田舎の私道で、乗ってはコケ、乗ってはコケを繰り返して、ある時、突然コツがわかってまっすぐ走れるようになった。もう有頂天だ。実際、コケるスリルもあるので、自転車の練習は1日中ローラーコースターに乗っているようなもので飽きなかった。
叔母は毎晩帰ってくると私のすり傷や打ち身の様子を気にしていたが、ママチャリに対しては全然チェックしていなかった。
さて、まっすぐ走れるようになったものの、今度はブレーキをかけるとコケる。右左折でもコケる。何度目かで、チャリを倒した拍子にライトがもげてしまった。
「おばちゃん、自転車のライトがもげちゃったよ」
「夕方、おばちゃんが帰って来てからは乗らないんだからいいじゃない。前かごに入れておいて」
「……ごめんなさい」
気がつけば、ピカピカだったチャリには細かい傷がたくさんつき、タイヤのカバーも曲がっている。チャリが私に「ちょっとアンタ、私は新車だったのに、どうしてくれんのよ?」とスゴんでくるような状態になっていた。
さすがに罪悪感を感じてママに電話した。事情を話すと、案の定「テコちゃんを電話に出しなさ~い!」とキレた。2人が何でモメていたのか忘れたが、結局、ママチャリはママが1台新車を買って返すということになり、ランプがもげたチャリは「私専用」となった。
とはいえ、家に持って帰ったわけではないので、そのチャリには叔母の家に行ったときしか乗らせてもらえない。私にとってはバケーション中の貸し自転車みたいな存在だ。そのうち自転車にのって、昼間のうちにスーパーへお使いに行ける程度には「お役に立つ子ども」に成長した。自転車は叔父がよくメンテをしてくれて、その後何回か引っ越したのだが、引っ越し先に必ずあった。高校を卒業する頃まで置いてあっただろうか。
一度ママとケンカして、叔母のところへ“家出”しに行ったのだが、なんとなくバツが悪くて家に入りにくい。そのままチャリに乗って近くの河原に隠れていた。日が暮れて叔母のところへ帰ったら、心配していた叔母に泣かれてしまった。「自転車だけなかったから、もう帰って来なかったらどうしよう」と思っていたらしい。
最近叔父はちょっとボケ気味だが、叔母は元気で、たまに会うと、すぐ「うちに家出しに来たときの話」をされてしまう。まぁ、それも自業自得。武勇伝の1つということで。
今日はサイクリングの日
自転車に乗れるようになったのは、何歳の時?
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