頭のネジが1本足りない? | ぽてなまの~と 【ときどきADHD話】

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「なまいき」で「なまけもの」な「ぽてたろう」のノートです。
日常のあれこれや、その日考えたこと、そしてADHDや発達障害についての「あるある」などを書いてこうと思います。

ADHDは頭のネジが1本足りない?

むしろ無駄なネジがいっぱい余っている

 

親戚とか遠慮のない人に「つまりADHDって何なの?」と聞かれる。

面倒くさいので「う~ん、頭のネジが1本足りない感じかな」と、ごまかす。

でも、本当の実感としては「頭のネジがなぜか数本多過ぎて余ってる」感じに近い。

 

音や光など、身を置く環境からの刺激は普通「五感」、多くて「第六感」といわれる。これが私の場合、ときどき「十感」ぐらいあるような気がする。というとスーパーマンみたいに聞こえるが、要は無駄な情報を拾い過ぎるという意味だ。

 

夕日の反射のチカチカとか、時計の秒針のカチカチ音とか、駅のホームに漂うパンが焼ける匂いとか、電車の車窓から見える沿線の家に「お、庭師が入ったな」とか、いつも買っている和菓子屋さんの「豆大福の豆が2個ぐらい減った」とか、本当にどうでもいい情報をスルーできずに拾ってしまう。当然、情報過多で、こんがらがる。つまり、頭の中が“いらないネジ”でいっぱい。ゴチャゴチャと片づいていないのだ。

 

トランプのように、たった52枚の中から「はい、これがジョーカー」と探し出すのは効率が良い。これが5000枚ぐらいの中から探し出すとなると時間がかかる。

 

 

私が「えへへ」みたいな顔をして会話の途中で突然黙るときは、だいたい頭の中がフル回転で「え~と、何だったっけ?」と、ムダ情報カードの山の中で絶賛ジョーカー検索中だ。ADHD族のリア友の1人に、このとき「上目遣いになる」というクセのある人がいる。記憶の収納庫が脳の斜め上ぐらいにあるイメージらしい。本人は「上目づかい」だと言っているが、周囲はみんな「白目むいてる」「顔がヤバ過ぎる」と言って、大笑いしている(←つまりADHDあるあるなのだ)。

 

もちろん「成功すれば」な話だが、ADHDの人生は断捨離ができたら「勝ったも同然」だ。特に脳内の断捨離はとっても難しい。「はい、この情報は1年間1度も使っていませんから捨てましょう」と、ポイっと消去はできない。残ってしまう。

 

と、こんなことを書き始めたのは名刺の整理をしていたから。私は人の名前と顔をくっつけて記憶することができない。名刺を見て思い出すのは「〇〇大学? ああ、通された会議室の天井が蛍光灯でチカチカしてた。同行者にやたら駄洒落をいう人がいた気がする。麦茶の中で氷が溶けてカランって音がしたから夏だった。帰りは駅弁が売り切れていた……で、いったいどんな人と何の話をしたんだっけ?」ってな感じだ。

 

つまり残っているのは、全部いらない余分なネジばかりじゃないか!? せめて1本ぐらい中枢情報の“本命”ネジが残っていればいいのに。

 

なんでもメンテは大事よね