ゴミ屋敷と汚部屋は違う
ADHDとはかなり違う
いわゆる「ゴミ屋敷」報道で「その説明はおかしいから!」と思うたびにこのテーマをピックアップしてきた。
GW前、お盆前、年末は帰省で親の家を目撃したりして、特殊清掃の受注が増えるのだろうか? 最近また「ゴミ屋敷お掃除隊」的な番組が増えているように思う。
テレビの番組では「特定の精神疾患や障害と結びつけない」という“配慮”があるため、「片づけられない人」という、曖昧な便利ワードが多用される。そこで誤解も生まれる。世の中的に「片づけられない人」はADHDを指すことが多いからだ。
だが、ここで声を大きくして言おう。
片づけられない人≠汚部屋の住人≠ゴミ屋敷の住人
全部別のものである。ADHDはゴミ屋敷とは関係ない。
ほとんどのコメンテーターは「片づけられる」側の人間で「なぜこうなるのか、理解できない」。「片づけられない」を放っておくと「ゴミ屋敷化する」と悪気なく思い込んでいる。
力を入れている局では、専門の清掃業者などに話を聞いてくるのだが、彼らは清掃のプロであって病理のプロではない。多くが「ゴミ屋敷」と「汚部屋」を混同している。“プロ”の立場から、どちらも、同じような原因で起こり、同じように悪化するものであるかのように語ってしまうのが悩ましいところだ。
●まずは規模、家の中に納まりきるか?
一般に「ゴミ屋敷/汚屋敷」とは、「ゴミが野積みの状態で放置された、ゴミ集積所ではない建物、もしくは土地のこと(wiki)」だ。一方、「汚部屋(おべや)」とは、「俗に、ごみを放置していて不潔だったり、生活に支障が出るほど物がちらかっていたりして、汚らしい部屋」のことだ。家の中に収まる程度の混沌が「汚部屋」で、家の外や敷地、場合によっては公道まではみ出すのが「ゴミ屋敷」だとも言える。ゴミ屋敷の場合、外は混沌だが中は清潔な場合もある。
ゴミ屋敷の場合、家や敷地の外からでも汚いのがわかり、近隣住民も気がつく。匂いや害虫などで迷惑をかけているケースも多い。住人は「汚い」ことを隠していない(もしくは感じていない)。
逆に汚部屋の住人は、なんとか他人に「汚いこと」がバレないように必死であることが多い。部屋がキレイな方がいいのも、自分の部屋が汚いことも理解しているが、重症のうつで気力も体力も落ちるなど、なんらかの原因でゴミがたまり、捨てたり、整理したりできない状態に陥っている。私が知っている汚部屋の住人は、ほとんどがこのケースだ。セルフネグレクトに近い状態だといえる。
↓このレベルでも建物内に収まっているなら汚部屋
また、汚部屋の住人には、町内やマンションの清掃には積極的に参加したり、職場のデスク回りは完璧に整理整頓している人も少なくない。自分の「汚さ」で周囲に迷惑をかけてはいけないと分かっている。つまり、汚部屋がゴミ屋敷化することはほとんどないはずだ。
●境界線は「拾ってくる」か
一番顕著な違いは、ゴミ屋敷の住人の多くが、ゴミ集積場などから「まだ使えそうなもの」を拾ってくることだろう。他人のゴミまで引き受けてしまうということだ。精神科医などに「片づけられない」話をすると、決まって聞かれるのがこの一点だ。「拾って来ちゃう?」
家の中にモノを貯め込むタイプのなかには、スーパーのレジ袋や弁当についていた割りばし、小さな醤油パックなどを驚くような数ストックしている人もいる。「今後使う予定は全くない」ものを「もしかしたら必要になるかも」と、捨てられなくなるのは一種の脅迫観念ではないだろうか。もしかすると、ゴミ捨て場から他人のゴミを持って来てしまう人も「これはまだ使えるはずだ」「捨ててはもったいない」と感じているのかもしれない。
さて、我々ADHD族は、一時「片づけられない病」などと呼ばれていた。まあ、正直なところ「片づけは苦手」という人が多い。ただし、個人差が非常に大きいことだけは確かだ。掃除や片づけに何の問題もないばかりか、かえって「超綺麗好き」「潔癖」の域まで針が振り切れている人も少なくない。私の母方の伯父と叔母はこのタイプだ。
これを裏づける統計データはないが、ADHDタイプの「片づけ下手」は、まず他人のゴミを拾ってこない。そして片づけられないことを自覚し、恥じて、多くは隠している。
あえて共通点を探すとすれば、家の中に未開封のストックが多いということぐらいだろうか。
↓強制的フォールディング(wikipediaより)