ADHDvs先生(9) 理不尽な中1担任-2 | ぽてなまの~と 【ときどきADHD話】

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「なまいき」で「なまけもの」な「ぽてたろう」のノートです。
日常のあれこれや、その日考えたこと、そしてADHDや発達障害についての「あるある」などを書いてこうと思います。

 

ADHDvs先生(9) 理不尽な中1担任-2

 

中学に進学して、のほほんと暮らしてはいたものの、成績はがくんと落ちた。今考えると私は軽い学習障害を抱えていた。成績は悪くても、なんとなくクラスには居場所があったのだが、担任のO先生には嫌われ、その理由がわからないまま1学期が終わろうとしていた。

 

●原因はボタンダウン?

中学に入って初めての家庭訪問で、O先生は溜めていた不満を吐き出したかに見えた

 

「お母さま、まずは制服のシャツを購入してください」

 

うちの母は頭のネジが1本ハズレていて、小学校入学でもらった黄色い帽子を「垢ぬけない」と捨ててしまうような人だ。中学入学のときに制服をあつらえたのだが、学校指定の白いワイシャツが「生地も仕立ても良くないわりに値段は高い」と1枚しか買ってくれなかった。代わりに白のボタンダウンシャツを何枚か買ってくれたので、学校ではそれか、白のポロシャツを着ていた。

 

1度違うクラスの先生に理由を聞かれたが「指定のシャツは1枚しか買ってもらえなかった」と言ったら、そのまま許された(←貧乏ならしょうがないのが公立だ)。

 

実はO先生、このボタンダウンがとっても気に障っていたらしい。「布地が悪い」という理由で指定のシャツを着ない……という我が家の選択肢は先生にとって想像を絶することなのだ。小学校でパーマをかけていた話も耳に入っていた。「服装の乱れは生活の乱れ」ということなのだが、たかだか襟に小さいボタンがついていることが乱れ? いわゆるツッパリの先輩たちさえ気がつかなくて、目をつけられることもなかったのだが。

 

↓ここまで濃くはない

 

勉強のことでもかなり怒っていた。全国統一の実力テストでは高得点なのに、定期テストや小テストで点数がとれないのは「学校の授業をバカにしているから」で「真剣に取り組んでいない」証拠だという。ついでに「発音だけいい」というのも生意気で頭にくるらしい。

 

単純に全国テストは全問4択問題なので、スペルや前置詞落としなどのケアレスミスが起きにくいし、漢字の書き間違えもない。それだけのことだったが、「勉強のプロ」だという自負がある先生は私の「学習障害っぽいところ」を全く認めてくれなかった。

 

●「ずうずうしい」の意味

O先生との間には、もう一つ忘れられないエピソードがある。クラスの班のメンバーが転校することになり「最後に」ということで班ノートに全員にひとことずつメッセージを書いてくれた。私に宛てては「ぽてたろうさんのように積極的になりたい」と書いてくれた。それに対して、O先生が赤ペンで「ぽてたろうさんのようにずうずうしくなるのは無理でしょうが(がんばってください)」と書いたのだ。

 

なぜ先生に「ずうずうしい」とまで言われるのか理解できなかったが、もう理解するのを放棄した。そして、この赤字を同級生にも親にも見られたくなくて、班ノートを返さなかった。失くしたことにしたのだ。最後のメッセージをみんなが見られないのは申し訳ないと思ったが、どうしても「ずうずうしく」の赤字を見られたくなかった。

 

結局O先生とは平行線で、嫌われたまま中1が終了した。なぜ、あそこまで私を敵視していたのか、今でも「これか!」というような、はっきりした原因はわからない。高校生ぐらいまでは、どこかでO先生に会うことがあったら絶対に聞こうと思っていたのだが、だんだんどうでもよくなった。というか、「でしゃばり」「悪目立ち」「反省しない」「どこ吹く風」……先生が私を嫌いな理由は、ほぼ「ずうずうしい」という言葉に集約されているということがわかるようになってきた。

 

●奨学金の無駄づかい

1年から2年に進級するときは、O先生の担任から外れてハレルヤだった。英語の担当も別の先生になり、「完全に切れた」のでホッとしていたのだが、一難去ってというか、「捨てる神あれば拾う神あり」ととるか。市が主催している科学勉強会のメンバーに、なぜか成績がパッとしない私が選抜された。うちの中学からは4人、その中の1人だった。勉強会のメンバーになると、隔週で科学系の特別講義を受けたり、実習を行ったりする、そのかたわら、1年間自由なテーマで研究し、最後にレポートを提出する。この講習や実習の部分が市からの奨学金で賄われていた。

 

推してくれたのは「発想が面白いから他とは違う自由研究を出しそう」「優等生が集まる勉強会には刺激になるかも」と考える先生方で、職員室では「ぽてたろうに市の金を使うなら、高齢者に紅白饅頭でも配れ」「奨学金の無駄づかいだ」という意見も強かったらしい。私がハズレだと、マジメにやりたい他の生徒からチャンスを奪うことになる。まあ、“奨学金”といっても微々たる金額なのと、「勉強会を通じて科学が好きになりました……的なレポートが出せればそれでいい」ということで私はメンバーの1人に決まった。自分で立候補したわけでもないのに、「市税の無駄づかい」とまで言われれながら、土曜日がつぶれるのは不本意だった。

 

↓優等生じゃないから「別の視点で」は無茶ぶり。

 

結局、大学まで文系受験だったので、一見勉強会にはなんの恩恵も受けていない。だが、大学で専攻した心理学が「文系受験なのに授業内容はほとんど理系」というクセモノ。「科学っぽいお勉強」はやっとここで役に立った。

 

●ODとLD

OD(起立性調節障害)で初めて倒れたのは中学生のときだ。今では関連性が知られている発達障害とODだが、当時は「貧血」、血液に問題がなければ「脳波」の検査しかなかった。どちらにも異常がなければ「甘えたい病」「注目されたい病」だと言われた。また、概念がなかったので放置されたが、学習障害(LD)の問題が表面化したしたのも中学時代だった。だが私がADHDだと診断されたのは、それから20年も後で、LDとODについては過去のことなのではっきりとした診断が出ていない。

 

診断に関しては急ぐ必要はないのかもしれない。その人が「困っている」と感じたときが受診・診断のグッドタイミングだ。

 

ブログのお題などで、よく「青春時代に戻りたい?」という言葉が使われる。私は戻りたくない。特に「努力が足りない」「真剣さが足りない」と言われ続けた中学の3年間には絶対に戻りたくない。

 

また「障害があるということを認めるのは勇気がいる?」という質問もよくある。何が敵かわからないまま「できない自分」との闘いで空回りしているより、気分はずっとマシだ。「できない自分」を受け止めるのは、ちょっとだけ勇気が必要かもしれないが、テコ入れすべきエラーが“見える化”できて、人生はずっと楽になる。

 

↓again?