ADHD vs 先生(8)理不尽な中1担任-1 | ぽてなまの~と 【ときどきADHD話】

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「なまいき」で「なまけもの」な「ぽてたろう」のノートです。
日常のあれこれや、その日考えたこと、そしてADHDや発達障害についての「あるある」などを書いてこうと思います。

 

ADHDvs先生(8) 理不尽な中1担任

 

中学校は学区が広がり、周辺3小学校の生徒が集まったマンモス校で、1学年に40名×13組。子どもが少ない今では考えられない「混雑」状態だった。クラスの半分は同じ小学校からの持ち上がり。私もそこには緊張を感じていなかったのだが、問題は担任、英語の担当女教師O先生だった。いわゆる「内申書」とか、どこからどういう情報が回ったのか知らないが、この先生は初日から私を憎悪の目で見ていた。

 

最初のホームルームでの自己紹介では、同じ小学校から来た同級生がどよめくほど、あからさまな敵意を向けられ困惑。続く学級委員の選出では推薦で名前が挙がったのだが、O先生に「ぽてたろうさんには他に目標がありそうじゃない?」と唐突に却下された。私も「猛犬注意」の看板を蹴飛ばすタイプではあるが、こんな短時間でコンプできるほどすばしっこくはない。何が嫌われたのか、さっぱりわからなかった。

 

●成績が低空飛行

中学に入ると成績が「中の上」から「中の下」まで下がった。洋楽が好きだったので、英語はリスニングと発音はよかったが、スペリングが苦手。テストでは英作文ができていてもスペルミスや前置詞のヌケで正解がもらえない。

 

国語では漢字の書き取りで「へん」と「つくり」が逆になったりする。今でも「スパゲティ」を「スゲパティ」と書いたり、漢字を手書きするとき、漢字のへんとつくりで「どっちが右でどっちが左だっけ?」と迷うことがある。私は「文字や数字の羅列」にかなり弱い。小さい頃は鏡文字も多かった。

 

これは発達障害ちゃんとしては「あるある」なのだが、そのころはまだ「外国には失読症というものがあるらしい」ぐらいの認知度で、学習障害など概念もない。ストレートに「バカ」だと思われていた時代の話だ。

 

私にとっては「漢字のへんとつくりが逆」は、よくある事故なのだが、ノン気の大人から見ると「そこまでわかっていてなぜ書けない。ワザとだろう?」ということになるらしい。

 

担任O先生の言葉を借りると「周囲の生徒を笑わせるためにワザと」ということになるらしい。目立ちたがりではないが、目立ってしまう生徒だった。「笑わせる」というより「笑われて」いたのだが。

 

↓ウケ狙いなら歌でもうたうワ

 

数学はなんとか父に教わっていたものの、英語と国語はお手上げで、家庭教師がつくことになった。先生は近所の女子大生で、子どもの頃から大好きだったお姉さんJ子先生だ。J子先生と一緒に勉強していくうちに、私は「内容はソコソコわかっているのに、ケアレスミスで点数がとれない」傾向が強いことがわかってきた。教科書は読むよりもリスニングのテープで聞くほうが頭に入った。

 

J子先生は「勉強のコツがわからないのと違って教えるのが難しい。ケアレスミスには『気をつけて』としか言いようがない」と言う。一瞬断られそうな雲行きになったのだが、母が「ぽてたろうは一人っ子だから、一緒に遊んでくれるだけでいい」と、J子先生にお願いした。

 

それからは本当にJ子先生の部屋に遊びに行っているようなもので、新しいレコードを聞かせてもらったり、一緒に年賀状を書いたり、ノンキに過ごしていた。

 

中間、期末と何回か試験があって、英語の答案を返してもらうとき、これまた唐突に担任のO先生が言った。

 

「このクラスの平均点はぽてたろうさんが下げています」

 

おもわず「なんで?」と、声が出てしまった。私がダントツ最下位ならわかるが、もっと点数が低い人もいた。

 

「なんでだか、一度マジメに考えてみたら?」

 

全く見当がつかなかった。