9.11 ……私が「マスコミ」でない理由
もう17年もたったのか。それが今日最初に思ったことだ。
17年前のあの夜、私はメインで書いていた、ある月刊誌の編集部にいた。締め切り間近で「徹夜になるのかも」とか考えながら、ダラダラと作業を続けていた。そんなとき、編集部のあるフロアのアチコチから怒声が上がった。
「テレビだ」
「ニュースステーションを見ろ」
モニター前に行ってみると、ワールドトレードセンタービルに2機目の旅客機が飛び込むところが映っていた。
状況を理解するまで時間がかかった。高層ビルと飛行機、合わせてどれだけの犠牲者が出るのだろう。事故なのか、事件なのか。故意でこんなことをするのは誰なのか?
その間もフロアでは大声が飛び交っている。
「今NYには誰がいるんだ? ワシントンは?」
「NY株式市場をチェックしろ」
「ワシントンから移動は無理ですね。飛べないですよ」
「こっちから増員はできないだろう。それこそ飛べない」
いわゆる「マスコミ」、特に「報道」の人たちは、それがどんなにひどい案件でも、第一報が入れば自然に体が動く、頭の中でシミュレーションが始まる。いわゆる「オマツリ」状態に突入する。別に「喜んでいる」とは言わないが、フロアには独特の緊張と興奮が充満してくる。
私には、その「オマツリ」スイッチがついていない。モニターの前でボケっと立っているから「どいて」と突き飛ばされ、舌打ちされ、それでも画像から目が離せず、声を出さずに泣いていた。
こういうとき、私には何もできない。
ニュースステーションが終わって報道特別番組に切り替わる頃、編集長に「今日は帰っていいですか?」と言いに行ったら、とても不思議そうな顔をされた。このビルに飛行機が突っ込んだワケじゃない。アンタの目の前には「しめきりがあるでしょ?」というわけだ。
「でも、NYが空襲されるんなら、東京もヤバいでしょ? 東京にだって貿易センタービルはあるし、ツインタワーなんていくつあります? 東京にいるのはイヤだ。八王子に帰りたい」
「しょうがない」と思ったのか、まだ終電もあったのに、編集長はタクシーを呼んでくれた。タクシーの中から、都内で一人暮らしをしている友達に片っ端から電話した。
「いざというときは、実家に帰るより八王子が近いよ。うちに来ればいいよ」
友達に「大げさだよ」と笑われたり、慰められたりして「はぁぁ」とため息をついたら、ドライバーさんに言われた。
「何かあったんですか?」
2人でラジオのニュースを聞きながら中央高速を八王子に向かった。