夏になると、怪談や心霊写真、事故現場や慰霊地を扱う投稿が
増えてきますよね。
もちろんテレビ番組や動画として見るだけなら娯楽となります。ですが、霊視をするとなれば話は別です。
「見えるか試してほしい」
「何がいたのか確かめてほしい」
「名前の違いに霊的な理由があるのではないか」
そうやって興味本位で、亡くなった方へ意識を向けることはおすすめしません。
色々あってこんな言葉を受け取りました。
「もしどうしてもやるのであれば、供養のための経文を持ち、
興味本位でやろうとするな。死者に触れるということは、それだけ触れる業がある。それらを持ち帰らねばならん。軽く扱うな」
経文は、覗き見るための免罪符ではありません。
最初から最後まで、供養として向き合う覚悟を持て、
という意味です。
事故や事件で亡くなった方には、本人の苦痛だけでなく、
遺族の悲しみ、現場に残された記憶、多くの人が向け続けた
意識があります。
そこへ触れて、見えたものだけを面白おかしく語り、後は知らないでは済みません。
霊視で大切なのは、見えるかどうかよりも、
見る必要があるのか。誰のために見るのか。
見た後のものを引き受けられるのか。
この三つです。
資料を調べれば分かることは、まず現実の資料を確認する。
体調が悪い時、強く感情が揺れている時、能力を試したくなっている時は触れない。
墓地、慰霊地、事故現場を検証や肝試しの場所にしない。
故人の言葉を受け取ったと感じても、事実として断定しない。
終わった後は、自分の生活へきちんと戻る。
夏の怪奇コンテンツは、境界を曖昧にしやすいものです。
怖がりすぎる必要はありません。
軽く扱わないこと。
面白半分で扉を叩かないこと。
死者にも、触れられたくない領域があると考えること。
霊的なものを扱うなら、能力より先に礼節が必要です。
