真夏の心霊スポットや霊視などについて | Passage of time is bridged~観測世界の断片にかかる橋~

Passage of time is bridged~観測世界の断片にかかる橋~

埼玉県川越市で活動している梛木 赫(ナギ ・アキラ)です。
状態を整えるためのワークを制作しています。
癒しや変化を目的としたものではなく、
判断や思考が重くならない状態を保つための
セルフメンテナンス用ワークです。

夏になると、怪談や心霊写真、事故現場や慰霊地を扱う投稿が

増えてきますよね。

もちろんテレビ番組や動画として見るだけなら娯楽となります。ですが、霊視をするとなれば話は別です。

 

「見えるか試してほしい」
「何がいたのか確かめてほしい」
「名前の違いに霊的な理由があるのではないか」

 

そうやって興味本位で、亡くなった方へ意識を向けることはおすすめしません。

 

色々あってこんな言葉を受け取りました。

 

「もしどうしてもやるのであれば、供養のための経文を持ち、

興味本位でやろうとするな。死者に触れるということは、それだけ触れる業がある。それらを持ち帰らねばならん。軽く扱うな」

 

経文は、覗き見るための免罪符ではありません。

最初から最後まで、供養として向き合う覚悟を持て、

という意味です。

 

事故や事件で亡くなった方には、本人の苦痛だけでなく、

遺族の悲しみ、現場に残された記憶、多くの人が向け続けた

意識があります。

 

そこへ触れて、見えたものだけを面白おかしく語り、後は知らないでは済みません。

 

霊視で大切なのは、見えるかどうかよりも、

見る必要があるのか。誰のために見るのか。
見た後のものを引き受けられるのか。

この三つです。

 

資料を調べれば分かることは、まず現実の資料を確認する。

体調が悪い時、強く感情が揺れている時、能力を試したくなっている時は触れない。

 

墓地、慰霊地、事故現場を検証や肝試しの場所にしない。

故人の言葉を受け取ったと感じても、事実として断定しない。

終わった後は、自分の生活へきちんと戻る。

 

夏の怪奇コンテンツは、境界を曖昧にしやすいものです。

怖がりすぎる必要はありません。

 

軽く扱わないこと。
面白半分で扉を叩かないこと。
死者にも、触れられたくない領域があると考えること。

 

霊的なものを扱うなら、能力より先に礼節が必要です。