函館の 靑柳町こそかなしけれ 友の戀歌 矢ぐるまの花

―石川啄木―

 

「矢車菊」が咲く頃になると、必ず思い出すのが啄木のこの歌です。

1990年前後の4,5年間には毎夏、

車で寝泊まりしながら北海道を巡っていました。

行きは東京からフェリーで苫小牧へ。

帰りは函館からフェリーで青森に渡り、東北自動車道で帰って来るのが常でした。

そんなある年、

啄木の歌にある「函館に咲く矢車菊」を見たいと、

函館山のすそ野にある函館公園に行ってきました。

 

函館山(標高334m)とフェリー(日本海航路)

(1989年8月のスケッチから)

 

涼しい北海道とは言え、さすがに花期はとっくに過ぎていました。

それで、淡い期待をしながら行ってみると、

ほんの僅かですが「函館の矢車菊」は咲いていました。

思いの叶った瞬間でした。

 

矢車菊

「矢車菊」は、以前は「矢車草」(やぐるまそう)と呼ばれていました。

しかし、矢車草という名前には以前から同名異種の花があり、

現在は「矢車菊」に統一されています。

個人的には「矢車草」の方が、語感と響きがいいので好きです。

 

矢車菊

矢車菊の名前の由来は花びらの形が、「矢車」に似ているところから。

 

啄木の函館・青柳町での暮らしは、

1907年(明治40年)5月から9月までの僅か4か月足らずでした。

啄木にとっては一番充実して時期だったようで、

のちに、「どうせ死ぬなら函館で」とまで、言っています。

 

石川啄木

 

しかし、思いは叶うことなく、1912年(明治45年)4月、

八重桜の散る東京・小石川の自宅で結核のために、

僅か27歳の若さでその生涯を閉じました。