しからば、ヨーロッパにおける、
日本的な味覚というのは何であろうか。
即ち、素材そのものの美味を、
百パーセント生かした珍肴(ちんこう)はなんぞや。
イギリスに、まずスモウク・サモンがあるね。
スモウク・サモン、すなわち、鮭の燻製であるが、
例のイカクン(通称、輪ゴム)やピーナッツと一緒に
おつまみに出てくる奴ではないよ。
あれは、低い温度で長時間燻(いぶ)した奴だ。これを冷燻というね。
※文章に出てくる「イカクン」が、
この「いかくん」であるか否かは不明です。(参考までに)
今ここに「スモウク・サモン」というのは、スコットランドの鮭を、
ある特定の硬木のおがくずで、短時間、高温で燻すのだという。
こいつは、実に刺身の如く柔かである。
レモンを絞って、クレソンのサラダを添える。
ブラウン・ブレッドのバター・サンドウィッチを
一寸角くらいに切った奴を添えるのもよかろう。
なかな高価なもので、
千円くらい買って来ても、一息でペロリと平らげてしまう上に、
店によっては当り外れが大きい。
わたしの知る限りでは、
ロンドンのバークレー・スクウェァのすぐ近く、
ディヴイス・ストリートの八百屋で買うのが、
いつも一等安定しておいしかった。
ロンドンでは、鮭の切り身を買ってきて、塩鮭なんかも作ったな。
なあに、鮭の切り身に塩を振って一晩おくだけのことだが、
こいつ、焼いて食うと、結構日本の味であった。
ただし、皮は食べられない。
いやはや、これは味もそっけもないです。
フランスでも、イタリーでも、
「鮭のムニエル」なんて言うのをメニューで見ると、
つい注文してしまうのだが、
絶えて皮のうまかったためしがなかったのはあわれである。
―伊丹十三・著 「ヨーロッパ退屈日記」から(1965年)―