ペリー艦隊の黒船来航で歴史の表舞台に登場した浦賀(「横須賀市)は、

干鰯(ほしか)問屋や回船問屋が多く、土蔵造りが盛んでした。

それに伴い、土蔵などの壁を塗る左官職人が育つ風土がありました。

江戸時代の中頃から、

左官職人が鏝(こて)と漆喰で作る『鏝絵』(こてえ)が生まれ、

浦賀にも鏝絵の傑作が残されています。

鏝絵職人としては、「伊豆の長八」(入江長八)が特に知られていますが、

浦賀でも鏝絵を作る左官職人が活躍していました。

『浦賀の鏝絵』は、《「ボツ」シリーズ》ではなく、

以前にアップしたブログを再構成するとともに、

未調査だった鏝絵を‟取材”して「ほぼほぼ完全版」として掲載しました。

他にも、個人所有や非公開の鏝絵が数点あります。

 

 

【西叶神社】

 

『浦賀湾を見ろして建つ、西叶神社』

京都神護寺の文覚上人が1181年(養和元年)源氏の再興を願い、

頼朝によって平家滅亡が叶ったことから「叶明神」の称号が与えられました。

社殿は1842年(天保13年)の建立。

社殿を取り巻く彫刻は、230を超えると言われています。

 

『拝殿正面の細かな彫刻群』

 

『圧倒的な迫力で迫る格(ごう)天井の天井彫刻』

 

西叶神社の社務所受付の軒下には、

「三浦の善吉」と呼ばれた、石川善吉の鏝絵を見ることができます。

 

 

 

中国の故事を題材に、

左側には水瓶を割る子供と割れた水瓶から流れ出てくる水の中から

顔を出す子供が描かれています。

助けられた子供の一瞬の出来事を鏝絵で表現しています。

子供の顔の表現など、大正後期の善吉の傑作です。

 

 

【川間町内会館】

近くには、為朝神社や浦賀部奉行所跡などがあります。

 

『川間町内会館(西浦賀)

川間(かわま)町内会館には、1階と2階の軒下に鏝絵が残されています。

石川梅尾、1959年(昭和34年)の作品です。

 

『松竹梅と鶴亀』

松竹梅を中心に左に鶴、右には亀、施された色彩が残っています。

 

『鳳凰』

現在は色が落ちてしまっていますが、

金や群青の色彩に彩られていた「鳳凰」の鏝絵です。

 

 

『鳳凰頭部の拡大』

細やかな鏝捌きが見て取れる、梅尾51歳の傑作です。