現在、自宅で暮らしている要介護3の母。
発症時のことを振り返ってみました。
脳出血で倒れた母。
病院へ搬送され、そこでひと月半を過ごしました。
右半身マヒや嚥下障害などの後遺症が残り、引き続き回復期リハビリテーション病院に入院、リハビリを行うことになりました。
転院の日。
ソーシャルワーカーさんに手配してもらったタクシー(車いすではなくストレッチャーでした)で、いざ! 回復期リハビリテーション病院へ。
母にはいちおう説明はしましたが、リハビリを専門にする病院へ行くのだということを理解できているのかどうか。
別の病院へ行くことぐらいはわかった……かな?
担当医や看護師さんに挨拶をし、荷物をまとめて迎えのタクシーが来るのを待っている間。
母が水を飲みたいと言い出しました。
このころ、まだ口から食事を摂れていませんでしたが、とろみ付きの水は飲めるようになっていました。
↓急性期病院で、母に「喉が渇いた」と言われ、深く考えずに父がジュースを飲ませたことがありました。全くむせずに「あ〜おいしい」と飲んでいたそう。なぜか美味いものを口にするとむせにくい気が?
看護師さんにお水をお願いしましたが、持ってきていただく前にタクシーの運転手がお迎えにきてしまったので、間に合いませんでした。
「じゃあ、あとでいいわ」と母。
わたしも、次の病院で頼めばいいだろうと思って流してしまいました。
ところが、そう簡単なことではなかったのです。
のちのち「あのとき少し待ってもらってお水を飲ませてあげればよかった」と後悔しました。
病院へ着き、病室へ入るとすぐに入院の手続き。
着替えなどの荷物はロッカーに入れる前に、まずチェック。
スタッフの方がリストと照らし合わせながら、必要な品がそろっているか、名前が記入されているかをひとつひとつ見ていきました。
名前が入れ忘れたものは、黒のマーカーを渡されてその場で記入。
(名前を記入するためのアイテムのおすすめはこちら)
入院の手続きも荷物も揃って、わたしたちもひといき。
母もベッドに横たわってひといき。
そこでスタッフの方に、母にお水を飲ませてほしい旨伝えました。
すると……。
「それは先生の許可がないと無理ですね」
は?
「診察をして、問題がなければお出しできると思います」
は……
つまり。
いくら急性期病院で提供されていたからといって、それはその病院の判断であって、こちらの病院はまた別、ということらしい。
こちらの医師が診察して許可を出さないとダメだということでした。
なんだ? 理屈は通っているかのようだが、納得できないぞ。
でもこのときはそれほど深くは考えず、
「まあ少ししたら飲ませてもらえるだろう」くらいに思っていました。
ところが。
翌日になっても返事は同じ。
「先生の許可がないとだめです」
それっていったいいつなのだ?
お水飲みたいというだけですよ。
そりゃ嚥下の機能は落ちているでしょうが、ゼリーやお水は口にできたし、ソフト食への移行をし始めるところだったのですよ、急性期病院では。
そういう進展具合は引き継がれないの?
でも、よそはよそ、うちはうち、ということのようです。
「お水は経管で摂れますから大丈夫ですよ」
いや、そういうことを言っているのでは、ない……
本人や家族にしてみれば、やはり納得できないような……。
すごろくで、コマを進められたのに「ふりだし」や「2つ前のマスに戻る」ようなもの?
「上がり」は遠い……。
さて。
母の要望である「お水を飲む」件はどうなったかというと……。
再び口からお水を飲ませてもらったのは、4か月後のこと。
8月上旬、まだ暑い盛り。
いやになるほどの青い空にはもくもくとした雲が浮かんでおりました。
しかし母の先行きには暗雲が立ち込めている。
これが、母のリハビリ病院生活のスタートでした。