2024年1月8日(mon)
帰省した子どもたちが揃い、多くの家族が満たされた時間を過ごしていたはずの元旦に大地震がおそった。「また、能登半島。なにもこんな日に地震が起きなくても」というのが率直な感想だ。津波警報が出され、東日本大震災の記憶が否応なしに蘇る。あれほどの大津波でなく安心したのもつかの間、輪島朝市の周囲が焼け野原、所々で倒壊した家屋や土砂崩れの映像が次々と流れてくる。さらに日ごとに亡くなった方や行方不明者の数が増えていく。
東日本大震災では石巻市で、2019年に発生した長野市の洪水では、家の床下から泥を掻き出したり、水に濡れてしまった家財を運び出すボランティアに携わった。今、何ができるのか考えている。
能登半島は空が広く、なんとなく南国を彷彿させるゆったりとした空気が流れている気がして好きな場所だ。長野県から比較的近いこともあるが、過去の能登半島の旅を紹介させていただき、再び、訪れる日を待ちわびる。
■ 能登への旅 〔2012年11月〕
三連休を利用して、のと鉄道能登線の起終点駅であった蛸島駅から廃線ルートを辿る旅に出掛けた。廃線から7年半が経過していたが、当時の車のナビゲーションにはまだ能登線が残っていて、29の廃駅にも案内してくれた。初日に能登半島の先端に近い珠洲市まで行き、日帰り温泉の駐車場で車中泊した。
すべての廃駅を紹介したが、今でも時々アクセスがあり、微力ながら関心のある人に情報を提供している手応えがあるシリーズとなっている。
■ 能登の御本山巡礼 〔2012年12月〕
輪島市門前町にある總持寺祖院は、かつて曹洞宗の大本山だったが、明治31年(1898)の大火によって消失し、その地位を横浜市鶴見の總持寺に譲ることになった。そんな悲劇の歴史を有することが逆に惹かれる要因になった。
■ 能登への旅 2013 〔2013年9月〕
■ 門前 總持寺祖院 〔2013年12月〕
能登半島では平成19年(2007)3月にも震度7の地震がおきている。總持寺祖院はその大地震にも耐えたが、それでも長期に亘る修繕が必要になり工事が続いていた。この頃は願い事があり、たびたび總持寺祖院を訪れている。能登は信州から青春18きっぷで行くには手頃な場所でもあった。
■ 門前 總持寺祖院参拝 〔2015年12月〕
この年、北陸新幹線が長野駅から金沢駅まで延伸され、在来線は第三セクターへと移管され、青春18きっぷだけで和倉温泉駅まで行けなくなった。この旅では金沢駅まで新幹線で行き、そこから門前行きの急行バスに乗り継いだ。總持寺祖院ではすべての工事が終了するのは残り5年とあった。すでに長期に及んだ改修工事は終えているはずだが、今回の地震の影響がどうだったのか。気になる。
■ のと里山里海号に初乗車 〔2017年1月〕
宿泊する和倉温泉のビジネスホテルに車を停め、和倉温泉駅から観光列車「のと里山里海号」に乗車した。あまりこうした列車に興味がある訳ではないが、のと鉄道なら乗車してみてもいいと考えた。
でも本当の理由は、冬の時期だけに開店する穴水駅ホームのあつあつ亭で牡蠣を食べることだったのだ。以前、七尾市の仲間に牡蠣尽くしの店に連れて行っていただき、いたく感動した記憶を引きずっていた。
■ お気に入りの能登半島で初体験ポタ 〔2021年10月〕
のと鉄道西岸駅近くに魅力的な食堂とアクティビティにチャレンジできる宿を見つけ旅を計画した。西岸駅を一駅乗り過ごし能登鹿島駅で下車し、自転車で準備体操してからシーカヤック体験をしたがそれは散々だった。しかし、ワイン食堂の方は大いに満足できるものだった。
さらに翌朝は、能登島に上陸して500㍍ほどの場所にある食事処みずへ。昔のドライブインのような雰囲気だが、おかずの数が半端なく、地元の人や観光客に人気の店と知った。
ワイン食堂ぷかぷか亭は古民家を利用した木造の建物だった。食事処みずは鉄筋コンクリート造のようだが、もうかなり前に造られた佇まいだった。今回の地震でどうなったのか気になっている。どうか無事であってほしいが、いずれにしても店を再開するのには時間が掛かると思われる。
■ このたび、亡くなられた方に哀悼を表するとともに被災された皆様に心からお見舞いを申し上げます。一日も早い復旧復興と、被災者の皆様に平穏な日々が戻りますことを重ねてお祈り申し上げます。