高瀬ダムの天端は舗装されている上に天端幅14㍍と広い。この先にはダンプカー1台が通れる不動トンネル(写真奥=2019年5月25日撮影=)があって、そこから出てくるダンプカーと堤体を上って来たダンプカーとがこの天端ですれ違うのだ。なぜ、そんなにダンプカーが行き来するのか。その理由を知るためにトンネルの向こうに行ってみる必要がある。

 

不動トンネルを抜けた場所には土砂の搬出場所がある。不動沢と濁沢の二つの沢に、岩が風化して砂状になった白い土砂が流れ着く。そのままダム湖に堆積すると有効貯水容量が減少することになり発電量が低下してしまう。そんな理由からダンプカーによる土砂の撤去が行われているのだ。(写真=2023年9月9日撮影=)

 

■ YouTubeの動画

 

 

七倉ゲートから高瀬ダムの天端までは東京電力リニューアブルパワーの管理道路になっていて、許可されたタクシーも運行している(ただし、ダンプカーに優先権がある)。そのタクシーを利用するのは主に登山客。左岸側から歩き出せば烏帽子岳や船窪岳へ通じ、右岸側からは湯俣温泉を経由して野口五郎岳や槍ヶ岳をめざすことができる。(写真/右岸上流から天端に停車するタクシー=2019年5月25日撮影=)
※2024年5月現在は、3月に発生した大規模落石により通行止めになっている。7月に復旧の見込み

 

高瀬ダム調整湖の右岸側の管理道路を進むとすぐに全長934㍍の高瀬隧道がある。そこを抜けたところに慰霊碑がある(写真=2019年5月25日撮影=)。碑は昭和58年(1983)建立とあるから、新高瀬川電源開発で亡くなった人を慰霊している。裏側には、高瀬ダム工区で二人、導水路工区で二人、発電所工区で五名、付帯工事で四名のお名前が刻まれている。
 
 

さらに管理道路を進むと、そこには高瀬ダム建造によってダム湖に沈まなかった高瀬川第五発電所が現役で稼働している。この日はその付近がダム湖と高瀬川の境になっていて、河原まで行き下流側にカメラを向ける。(写真/左から不動岳、船窪岳を挟んで七倉岳=2019年5月25日撮影=) 
※高瀬川第五発電所は現在工事中で休止している。再開は令和9年(2027)とあったが、通行止めの影響で工期が延びる可能性もある


【地図】

国土地理院の地図で位置関係を整理してみよう。二つの沢から流入する土砂を運び出す搬出場(A)。余水路の取水口(B)は左岸側。発電の取水口(C)は右岸側にある。そこから、総延長2,582.4㍍の導水路を流れ地下空間にある新高瀬川発電所(D)に到達する。東京電力リニューアブルパワーが管理する道路の入口である七倉ゲート(E)からは一般車両は通行できない。

 

東京電力リニューアブルパワーが管理する揚水式水力の新高瀬川発電所は、地下に霞が関ビルを横にしたほどの大空洞を掘り抜いて建造された。その難工事の様子は曽野綾子氏の小説「湖水誕生」にも紹介されている。(写真/発電機室の上部。4基の発電機により最大128万kWを発電し首都圏へと電力を供給している=2018年8月7日撮影=) 
 

 

新高瀬川発電所は地下空間に位置するため、その全容はイメージし難いが、取水位標高1275.3㍍から有効落差229㍍、4条の水圧鉄管を流れ落ちて発電している。(写真/水車と発電機をつなぐ主軸は直径1220㎜。約75㌧=2018年8月7日撮影=) 


七倉ダム湖の上流右岸寄りに新高瀬川発電所の送電線の引出口がみえる。そこから出た送電線は左岸側にある東京電力パワーグリッド高瀬川線No.1送電鉄塔(写真右=2024年5月4日撮影=)へと接続し、再び川を渡り右岸側から下流側へと送電される。東筑摩郡朝日村にある新信濃変電所まで114基の送電鉄塔で結ばれている。
 

 

山肌に唐突に口を開けている送電線の引出口は、なんだか地球防衛軍の基地のように映る。同じく山の地下に位置する黒部川第四発電所の引出口も、黒部川の秘境に存在する。それは写真でしかみたことがないが、機会があれば自分の目で確かめてみたいものだ。(写真左が高瀬川線No.2送電鉄塔と思われる=2024年5月4日撮影=) 
 

 

ダンプカーで土砂を運搬する様子を紹介したが、運搬方法を全長約11㎞のトンネルを掘ってベルトコンベアで運ぶことになった。工事は遠からず発注され、数年後には、今や名物にもなっている高瀬ダムを上り下りするダンプカーの車列は姿を消すことになる。(写真/高瀬ダム管理道路の起点の七倉ゲート=2019年5月25日撮影=)
 
■大町ダム等再編事業>>>(国土交通省千曲川河川事務所のWebサイト)

 

 

【ダムカード】

 


高瀬ダム/新高瀬川発電所 END