2023年1月14日(sat)

 

 

そもそも読解力には自信がないので、本の感想を述べることは控えたいのだが、この作品には深い感動を覚えた。これは、戦後、シベリアに抑留され続けた日本人捕虜・山本幡男の物語で、タイトルから察する通り、山本は昭和29年(1954)8月25日にハバロフスクの収容所(ラーゲリ)で亡くなっている。

山本はそれまでの9年の間、帰国(ダモイ)できる日を信じて、仲間たちと句会をつくるなど、殺伐とした日々の中で学び合うことで希望を見出していた。当時、日本語を書き残すことは許されておらず、ソ連兵に見つかれば没収され破棄されるという厳しい制約があったにも関わらず、日本人としての誇りを忘れず句会の活動を続けた。そうした山本の姿勢に、やがて多くの捕虜たちが共感し、そしてその人柄に魅了されていく。山本が病に倒れても、仲間同士で食料を分け与え交代で見舞った。

しかし、山本の再起は誰の目からみても絶望になり、仲間のひとりが山本に遺書を書くように勧める。それは互いにとって痛恨の思いだっただろうが、山本はそれを受け入れ、ノート15頁に「本文」「お母さま!」「妻よ!」「子供等へ」の4編を認める。もちろん、そのノートが見つかれば即没収で処分される。事実、山本の死後、ソ連兵に見つかり、それが家族のもとに届くことはなかった。

昭和31年(1956)日本政府の働きかけによって、ようやく日本人抑留者全員の釈放が決まり、その年の暮れに山本の仲間たちも舞鶴の地を踏む。実に11年ぶりの帰国だった。しかし、その内の7名は山本の家族に遺書を持ち帰る任務が残っていた。すでに山本の死から2年と4ヶ月が経過している。山本が書き残した遺書をどんなかたちで持ち帰ったのか。それは驚くべき方法で、それがどんなに困難なことだったのかと思わずにいられない。そのことは物語の核心なので、ここではふれない。
 


この実話は「ラーゲリより愛を込めて」というタイトルで、現在、映画が上映されている。鑑賞したいという気持ちはもちろんあるものの、映画館で嗚咽を上げる訳にもいかない。時間をおいて、もう少し心の高ぶりが収まったら自宅で観てみたい。