昭和58年(1983)秋雨前線の停滞と台風が重なり信州新町(現長野市)は水害に見舞われた。その被害の原因は水内ダムにあるとして、地元住民が損害補償とダム撤去を求めた。これに対し東京電力は天災だとして拒否したが、2年後に5億円の解決金と、総額3億8,500万円の被災地生活再建対策費を支払うとともに、水内ダム湖に堆積した土砂を浚渫するとして交渉は妥結している。(写真/発電所のすぐ下に犀川が流れている。放水路は石畳のようなコンクリートの地下を渡っていると思われる) 

 

ところが長野県は、当地の50分の1の模型を用意して水理実験を行い、昭和62年(1987)水害の原因はダムではなく久米路峡の影響とし、川幅を拡幅する、護岸を削る、久米路峡の上下流を結ぶ河川トンネルを開削するといった施策を示した。(写真/発電所から右岸に渡る第一通路橋は通行禁止になっている。銘板には昭和59年(1984)竣工とあり、川田工業株式会社が請け負っている) 
 

 

放水口をみるためには車で移動し、右岸の更府地区からアプローチする。するとそこには先ほどの第一通路橋と同様に吊り橋の人道橋があり、こちらは現役で使用されている。おそらく第二通路橋という名称で、地元の人の要望で東京電力が架橋したと思われる。 

 

橋の中ほどから上流側をみると放水口が確認できる(写真)。放水路は幅6.6㍍、高さ6.9㍍、延長423.4㍍。川を横断するトンネル工事では大量の漏水に見舞われ、それを止めるべくセメントを注入したが効果が上がらず、試しにオガクズを注入してみたところ、漏水は完全に止まったという。当地は弘化4年(1847)の善光寺地震で崩壊・閉塞した関係で土壌に空洞が多いとされている。 

 

水内発電所に戻って、今度は送電の様子をみてみよう。写真右奥の変電設備からは東京電力パワーグリッド水内線No.1送電鉄塔(写真右)に接続する。写真左には中部電力パワーグリッド水内配変電所があり、敷地が複雑に入り組んでいる。 

 

 

水内線の送電鉄塔は1基しかなく、次の笹平線No.14送電鉄塔(写真)に接続している。その名の通り、犀川の下流側にある笹平発電所と繋がっている。 

 

 


さあ次は笹平ダムおよび笹平発電所の見学に出掛けよう。犀川東電5ダムも残り二基となった。(写真/山を越え笹平発電所に延びる東京電力パワーグリッド笹平線をみる) 

 

 

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水内ダム・水内発電所 END