現在の下り本線には遮断機付きの構内踏切がある。もっとも山形新幹線が通過するから、それは当然だ。峠駅を訪れたこの日が休日だったせいか、秘境駅とは到底思えぬほどの観光客がいた。(写真/構内踏切を渡る観光客) 

■ 山形新幹線つばさが通過する様子>>> 



ホームから福島駅方面をみると、左側にレールが敷設されていないトンネルがあるが、これはスイッチバックで使用されていた引き上げ線。福島駅に向かう列車は、一旦、ここに入ってから後方にあった旧ホームに向かってへスイッチバックしていたと思われる。(写真=2021年9月13日追加撮影=)

 

ホームから福島駅方面をみる。左のトンネルが上り方面が板谷峠トンネル=全長1,964㍍=で昭和46年(1971)複線化に伴い供用開始されている。右側が、下り線として使用されている第二板谷峠トンネル=全長1,628㍍=で駅開業当初から使用されている。 

 

昭和17年(1942)、峠駅の南方約8㎞の山中に滑川鉱山が開発される。索道を通して鉄鉱石が峠駅に運び込まれ、専用線から貨物列車で東新潟港駅へ輸送され、九州の八幡製鉄所に船で運ばれていた。しかし、同鉱山は昭和45年(1970)閉山。峠駅の貨物取り扱いもその2年後に廃止されている。(写真/ホームから米沢駅方面をみる。写真左奥が旧引き上げ線) 

 

昭和24年(1949)福島駅-米沢駅間が直流電化されたため、優等列車はスイッチバックを通らずに通過するようになる。ちなみに昭和43年(1968)には交流電化方式に改められている。(写真/本線のスノーシェッドの梁部をみる) 
 

 

野外に出て、旧引き上げ線のスノーシェッド沿いに歩く。レールを支柱にして頑丈に造られた全長200㍍の木造建築は、山間にあって一際目を引くが、果たして雪景色の中ではどんな光景に映るのだろうか。 



スノーシェッドの出入口には、スイッチバック時代の名残りの信号機がある。写真の後ろ側にかつての駅舎があり、そこにはホームの跡が残っているようだが、旧駅舎は平成9年(1997)解体されている。 

 


かつて、スイッチバック駅だったことから待ち時間が生じるのに目を付けた「峠の茶屋 力餅」の先代は、力餅の立ち売りを駅開業から2年後に始めている。そして、板谷峠を越える普通列車が1日6往復になった今でも後継者はそれを続け、駅売りの声が薄暗いホームに響く。(写真/店舗には不在のときの案内が掲示されている) 

 

■ 訪問記>>>

 


峠駅 END