平成14年(2002)より運用開始された第二上野尻発電所(写真左奥)は富士電機によって実用化された世界で初めて立軸バルブ水車が採用されている。通常用いられる横軸バルブ水車に比べて水頭損失が低く抑えられることや設置面積が小さく抑えられ発電所建屋のコスト削減につながるといった利点があるのだという。 


戦後の電気事業再編成令により9電力体制に再編され、東北電力株式会社も発足している。その初代会長に迎えられたのが、かの白洲次郎だった。当時の社誌には「日本の経済復興は電源の開発なくしてあり得ない」と社員たちを鼓舞している。(写真/ローラーゲートを巻上げるための鉄骨トラスを天端よりからみる) 

 

 

天端から左岸下流側をみると磐越西線の橋梁がみえる(写真)。この付近に鉄道が延伸されたのは大正3年(1914)のことであるが、奥只見ダムや田子倉ダムに代表される、阿賀野川水系を含む只見特定地域総合開発計画が始まるのはさらに約35年後のことである。ちなみに上野尻発電所を含む阿賀野川の5発電所には、白洲次郎の思いが刻まれた記念碑が建立されていることを後に知る。 

 

ダムの管理事務所の壁面の汚れは、平成23年(2011)7月豪雨の傷跡とのこと。建屋の下側の窓直下まで水が上がり、発電所が水没する寸前だったようだ。 

 

 

天端の真ん中に発電所があるのは電源開発秋葉ダムがそうだったかもしれないが、もしかすると構造的に珍しいのかもしれない。さらに、入口には上野尻ダム管理所ではなく、阿賀野川ダム管理所とある(写真左)。このダムだけでなく阿賀野川に複数あるダムを管理する拠点になっているのかもしれない。 

 


管理事務所には、ダムカードは道の駅にしあいづで配布しているので、そこで写真など実際に訪れたことを証明できるものを持って申請してほしいとある。私は子どもの頃から、スナック菓子のおまけに付いてくるカード類には一切興味がなかった。もちろんここで配布していれば申し出るが、今も全く固執していない。それなので、わざわざ逆方向に戻ってまで入手するつもりはないが、この11のダムには訪れてみたいものだ。


 


上野尻ダムの両岸は桜の名所なのだという。右岸側は公園として整備されていて、白洲次郎の碑はそこに設置されているようだが、今回そこまで出向かない。ただ左岸でも桜の季節には大勢の人が訪れるのだろうと写真に収める(写真)。偶然だが、右に写っているコンクリート製の四阿のようなものは、建設工事の際、用いられたバッチャープラントだった。
 


上野尻ダム END