2020年5月24日(sun)


東京発電竜島第二発電所は大正12年(1923)運開した歴史ある水力発電所だ。当時は竜島発電所の名称で、京浜発電株式会社が水利権を得て運用を始めている。配電統制令により日本発送電に所有が移った後、電気事業再編成令により東京電力が受け継ぐが、その後廃止されている。(写真/竜島第二発電所の建屋をみる。左奥の道の向こうには東京電力竜島発電所がある) 



京浜電力株式会社は大正8年(1919)帝国ホテルや大成建設などを創設した財界の重鎮の大倉喜八郎によって設立されている。翌年には横浜電気株式会社が資本参加し、供給力不足に陥っていた同社に電力を供給することになった。この頃、竜島発電所が着工されている。(写真/建屋は創業当時のもので所々の意匠にこだわりが見てとれる=梓川対岸から撮影) 
 

 

第一次世界大戦後の不況により工事は中断されてしまうが、大正10年(1921)横浜電気が東京電燈株式会社に合併されたことにより、その東京電燈の支援により工事が再開され、遂には完成の日をみることになる。当時の出力は20,050kWと現在よりも多い。(写真/長さ249.21㍍の水圧鉄管1条が建屋の裏側にあるが、創業当時は2条だった) 

 


一度、廃止された理由は、昭和44年(1969)東京電力が隣に建造した竜島発電所が要因と推測できる。本来ならこの発電所に水を送れば良かったのに、それができなかったということは、技術的な面というよりコスト高になるという判断があったのかもしれない。ところが平成9年(1997)東京発電によって再運用されている。再生可能エネルギーが注目され始めたことが要因と推測するが、その際、現在の名称に変更されたと思われる。(写真/発電所の上部には変電施設がある。左上には霞沢線の鉄塔もみえる) 

 

 


 

現在、竜島第二発電所は黒川から取水されている。導水路の延長は1343.3㍍。上部水槽から有効落差128.12㍍を流れ落ち、最大出力2,400kW、常時出力133kWの電力を生む。(写真/建屋の玄関には木製の看板が設置されている) 

 

管理するのは東京発電糸魚川事業所。ここでは竜島第二発電所の他に、糸魚川市の姫川第七発電所新小滝川発電所、柏崎市にある小水力発電所の赤坂山発電所を管理している他、新潟県企業局高田・新高田発電所の巡視・点検業務を行っている。(写真/扉に掲げられた連絡先) 

 


放水口は確認できないが、他のネットの画像をみると、建屋からそのまま梓川へ放水されている。植生により見学は叶わなかったが、もしかすると約100年前の構造物をみることができたかもしれない。発電所の奥には日帰りの竜島温泉があり、また入浴で訪れる際に確認してみよう。(写真/放水口の近くの梓川の川面をみる)