東京電力高瀬川線No.94送電鉄塔を見上げる(写真)。表示板には昭和56年(1981)6月に建造されたとあり、新高瀬川発電所の1~2号発電機が運転されたタイミングと一致する。同発電所が供用開始したのはその2年前で、4号発電機が最初だった。それまでは現在の東京電力大町線を経由して電気を送っていたと思われる。

 

 

高さ表示はなぜか手書きになっていて、64㍍なのか69㍍なのか正確な値がわからない。いずれにしても建物なら20階ほどになるだろうか。こんなにも存在感を誇示しているのに、何度となくこの地を訪れているはずなのに、今まで記憶に刻まれることがなかったのが不思議だ。

 

 

北側をみると、高瀬川線No.93送電鉄塔と思われる紅白鉄塔の先に、No.92、No.91鉄塔と思われる大型鉄塔がみえる。スキー競技に例えるなら、まさに大回転のコースのように一気に山を下ってくる。そんな豪快なイメージがする。

 

 

梓川右岸から旧赤松頭首工をみる。昭和6年(1931)に竣工して、長きに亘り、農業用水として活用されてきたが、先ほど訪れた赤松分水工が整備された後に廃止されている。現在は八景山橋と呼ばれ歩行者なら渡ることができる。沈下橋でもあり増水時は通行できない。私もこの橋を自転車を押して渡ったことがあるが、今日はこの構造物がどんなに貴重な役割りを担っていたのか、深く学ぶことができた。

 

 

ここで一つ疑問が生じる。それは中部電力梓発電所に流れていく水のことだ。発電所の運用開始は昭和19年(1944)。ところが先ほど訪れた赤松分水工の竣工は昭和46年(1971)。それまでは赤松頭首工で取水された水が流れていたということになる。後に赤松分水工の完成に合わせ、左岸幹線の流れを変えたのだ。そう推測するが、おそらく間違いないだろう。(写真/梓川のたおやかな流れ)


 

立ち寄ったアルピコ交通上高地線の終点、新島々駅には同社のバスターミナルもある。長野県では先週から外出自粛が緩和され、学校も分散登校が始まった。通勤の途中に、そんな児童や生徒の姿を見つけ、当たり前だった光景にホッとしたものだ。(写真/しかし、スクールバスには「休車中」の文字がある)

 

 

それでも上高地、乗鞍高原に向かうと思われる路線バスは運行していて、少人数であるものの観光客らしい人の姿もみられた。こうして徐々に日常を取り戻していければいい。(写真/国道158号を上高地方面に進み、梓川を渡る)

 


地形と歴史の産業スクランブルを巡るポタ Vol.3に続く