集合場所は清水沢プロジェクトが入居する鉱員住宅の一室(写真)。「清水沢コミュニティゲート」のネーミングはなかなか洒落ている。15分前に到着するが誰もいない。3分前になっても誰も来ないので、入口に掲示されて番号に電話を掛けようとすると一台の四輪駆動車がやって来る。 

 

 

颯爽と降り立った女性が、清水沢プロジェクトのキーパーソンのMさん。さっそく建物の中に入り事前説明を受ける。ところが私ひとりだけだと思いきや、派手なメークの3人の若き女性たちも一緒だ(写真)。彼女たちは「撮影コース」を選択していて、なんとコスプレ撮影をするとのことだ。午後にも別の組が入っているとのことで、こういう需要があるのだと頷く。 

 

清水沢コミュニティゲートから車で3分ほどの場所に旧北炭清水沢火力発電所はある。現在の所有者は、地元の廃棄物リサイクル会社だが、清水沢プロジェクトが主催するこのガイドツアーを容認してくれている。(写真/後に訪れた清水沢ダムの天端から撮影。この場所からが、建物全体の雰囲気をよく表している) 

 

自社で生産する炭を用いた北炭清水沢火力発電所が完成したのは大正15年(1926)。その頃は石炭の出荷量が増加に伴い電気の需要も増大していたと思われ、自家発電で電力を賄いたい。そうした声が自然と上がったものと推測する。(写真/旧北炭清水沢火力発電所の北東面。手前の白いものは碍子の山)
 

 

1階から建物に入ると壁際に配線盤が残っている(写真)。この発電所は平成4年(1992)に閉鎖されていて、すでに4分の3が解体されているのに、当時の配電盤が奇跡的に残っている。建物を所有する企業は、その後も解体を進める予定でいたが、平成23年(2011)NPO炭鉱の記憶推進事業団が主催した「夕張清水沢アートプロジェクト」を機に解体を停止している。


 

コスプレ撮影するグループは着替えもあることから、Mさんが専属で説明してくれる。彼女は「配電盤にある芝浦製作所(現東芝)や立石電機(現オムロン)のプレートを示し、「これってどこの会社かわかりますか」などと問いかけ、正解すると褒めてくれる。まるでNHKの人気番組「ブラタモリ」に出演しているような気分で楽しい。(写真/大変貴重なものと思われる、北斗星の社章があしらわれた北海道炭鉱汽船のプレートもみられる) 


さらにMさんはi-Padを駆使して、昔の写真やデータを表示しながらわかりやすく説明してくれる(写真)。そのテンポの良さに思わず引き込まれる。これはまさに今風の大学の授業のフィールドワークのようだ。私はメモ帳を持ってこなかったことを悔やみ始める。 
 


旧北炭清水沢火力発電所(働き方改革で北海道へ Vol.6)に続く