稚内で見学したいと考えていたのは旧瀬戸邸(写真)。にしんに替わり底曳き網漁業で活気づき始めたで昭和27年(1952)瀬戸常蔵という底曳き漁業の親方の住宅として建てられている。いかにも昭和時代の建物といった雰囲気もさることながら、住宅には、稚内が華やかな時代の産物が多く残されている。

 

中に入ると、地元の方がガイドしてくれる。建材は主に秋田杉を使い、数多に職人のこだわりがみてとれる。明らかに高級な食器を使ったお膳が配置され、宴会の様子が再現されている(写真)が、これだけみても、勢いのあった時代を感じとることができる。
 

 

さらに凄いのは、昭和46年(1971)の稚内港前の様子。底曳船から荷揚げされた水産物がトラックで運び出される様子を撮影した写真で、人人人で溢れている。高度成長期にあって、まさに稚内は、日本の食卓を支えてきたといっても過言ではあるまい。

 

 

稚内の水揚げ量は全国第2位まで記録し、底曳船1隻の平均漁獲額は3億5千万円ほどあったとされる。しかし、昭和52年(1977)旧ソ連による200カイリ宣言で状況が大きく変わり、60隻ほどあった底曳船は減船を余儀なくされ、現在は6隻にまで減っている。(写真/生息する魚の水域を示した地図)
 



稚内駅まで戻ってくると、ちょうど稚内駅に到着したキハ54系の姿がある。南稚内駅側から眺めると、稚内駅が終着の駅だということを改めて印象付ける。しかし、来年4月をもって廃線になるJR石勝線夕張支線の夕張駅と重ねてみえてしまうのが悲しい。 


 

旧瀬戸邸では、案内人の話に夢中になって予定していた時間を超えた。稚内駅に戻って来たときは昼時になり、ラーメンたからやには行列ができている。列車の時間まで40分。待っていれば間に合わなくもないかもしれないが、急いで食べるのが嫌で、結局、駅構内の食堂でたこめし弁当(写真)を購入し、列車の中で食べる。

 

 

サロベツ原野に限らず、宗谷本線沿いには、水芭蕉の湿原が続く。ちょうどその可憐な花が咲いていて、目を楽しませてくれる。しかし、この風景がずっと線路沿いに広がるのだから、やはり北海道はスケールが大きいと実感する。

 

 

降り立ったのは豊富駅。南稚内駅の次に特急列車が停車する駅だ。しかし、稚内駅からここまでは、営業距離で43.5㎞。すでに40分ほどの時間が経過している。(写真/豊富駅を発って行く特急サロベツ)
 


北の最果てへGo! Vol.11に続く