盛岡のまちで
建築探訪ポタに勤しむ


盛岡駅では3時間ほどの時間をとった。市内の建築物を巡る自転車散歩しようと考えていたからだ。それでも炎天下なのであまり無理をせず、当初予定していた旧盛岡高等農林学校の本館はパスすることにする。(写真/盛岡駅東口)
 

 
明治時代の設計士の役割は
自分のこだわりを生み続けることだった

 

東京の人に限らず、この建物をみれば東京駅に似ていると思うことだろう。そう盛岡市の市街地にあるこの建物は東京駅を設計した辰野金吾と盛岡市生まれの葛西萬司が組んで造った岩手銀行(旧盛岡銀行)旧本店だ。

 

岩手銀行旧本店本館

竣工は明治44年(1911)と東京駅(旧東京中央停車場)よりも3年早い。東京駅は消失してしまったが、この建物は当時のまま残る。東北地区では辰野金吾の作品はここ盛岡だけに残る。

 

 

岩手銀行旧本店本館

建築のことはよくわからないが、当時の日本にこうした西洋風の建築物を造りたいという意気込みは理解できる。木造の家が続くまち並みにこうしたレンガ造りの建物を当時の人たちはこぞって見物に来たことだろう。その人込みの中には、灌漑深く見つめる辰野の姿もあったに違いない。
 

 

盛岡信用金庫本店

岩手銀行(旧盛岡銀行)旧本店の近くには盛岡信用金庫(旧盛岡貯蓄銀行)本店があり、こちらは今も現役で使われている。前述の葛西萬司の設計で竣工は昭和2年(1927)。花こう岩に覆われ、まるでギリシャ神殿のような風格だ。

 

 

裏手の通用口にある扉には装飾が施され建物全体に重みを与えている。現在の商業施設にたまに見られるが、表だけは綺麗に仕上げ、裏は安普請。昔の建物はすべてにおいて全力でひた向きさが伝わってくる。こうした細かいところまで目を配っているからこそ昔の建物は魅力的に映るのだろう。
 


東北ポタ 後編(久慈~宮古~盛岡) Vol.7に続く