2012年11月3日(sat)
【旧珠洲駅】
旧珠洲駅の駅舎は平成21年(2009)に残念ながら壊されてしまっている。現在は道の駅「すずなり」が跡地に建っている。路線バスのターミナルであり、特産物を扱う店が入居している。建物の隣にはホームの一部がそのまま残る(写真右)。珠洲駅は、貨物を扱う駅でもあったため構内が広く、市街地の外れに位置していたのも用地確保のためだったと思われる。
ホームの奥にはレールが一線だけ残る。かつては貨物の引込み線があったため複数のレールが敷かれていたようだ。観光PRの要素もあるのだろうが、一部でもこうしてかてつの趣を残したのは地元に対する行政の配慮なのだろう。確かにこの駅から通学していた生徒にとっては、帰省したときに懐かしい思いに浸ることができるかもしれないが、返って空しさが募る。そんな気もしない訳ではない。
ホームから蛸島駅方面を望むと、鉄道設備が残されている。灯りがない信号機を見るのはいつも悲しい。たとえ赤色の時間がどんなに長くても、そこに灯があるとないのでは雲泥の差だ。失ったものの大きさが込み上げ、つかみどころのない悲しみが胸をくすぶる。
【旧飯田駅】
飯田駅は国鉄時代は珠洲飯田駅と呼ばれていた。それは飯田線の飯田駅と区別するためだったが、能登飯田駅にならなかったのは、国鉄バスの駅名がすでに存在していたからだ。市街地にもっとも近いため乗降客も多く、急行列車も停車していた。ホームは駅舎の奥から階段を上った場所にあったが、今は深い樹木に覆われて通行ができない。
駅から珠洲駅方面を望むと、車道を渡る橋梁はすでに撤去されているが、土台がここに鉄道が通っていたことを容易に示している。さらに左奥には春日隧道と思われる坑口が見える。能登線には全部で49のトンネルがあったが起点から「いろは順」に平仮名標記がなされていた。事故の際、早く伝達できるようにと考案されたようだ。ちなみに春日隧道は「ん」であった。