小諸には食事を含め約1時間30分ほど滞在する。小諸駅から北に向かうと「懐古園入口」の交差点がある。その交差点を西に下り、突き当たりを右折する。ここから千曲川まで長い下り坂が続く。視界が開け千曲川が見える。思わずブレーキを掛け、自転車を止める。黄色い絨毯の田園越しに赤いトラスの大久保橋を望む。深く息を吸い込んでから、一気に坂を下る。
「小鳥電車」と呼ばれた鉄道が存在した
大正の終りから昭和のはじめにかけ、小諸駅から東御市島川原変電所付近を結ぶ全長7.4㎞の布引電気鉄道があった。小諸の商人たちが布引観音の参拝客を見込んで引いた私鉄だったが、乗客が少なく「小鳥電車」(=四十雀〔始終空〕=)と呼ばれ皮肉かれた。やがて送電の電気料も支払えなくなり、わずか9年で姿を消した。布を引っ掛けた牛が善光寺に導く伝説で有名な布引観音(写真)に布引駅があったようだ。
県道が千曲川から離れてしまうので、無計画に田んぼの中の道を行く。行き止まりになるのではないかと不安もあるが、そうなったら戻ればいい。そんな安易な気持ちで分け入る。やや路面の状態が悪いが、走行には問題ない。稲刈りをしている老夫婦と挨拶を交わす。
交通量の多い県道を避け、しなの鉄道沿いの道を探す。住宅街を抜けると、生活道路が並行していてホッとする。コスモスがきれいだったので、しばらく見ていると、電車がやって来た。しなの鉄道カラーではなかったが、コスモス越しのご機嫌な写真を撮影することができた。
田中駅=標高511㍍=に到着。駅舎は海野宿をイメージしているのか、格子をあしらった構造になっている。駅のすぐ隣には「千曲川温泉ゆうふるtanaka」という日帰り入浴施設があるので、ここを終着点にするプランも悪くない。
海野宿のまち並みは、江戸時代の旅籠屋造りや、明治以降の蚕室造りの建物が混在する。道の中央を流れる用水と柳が整然と伸び、美しい街道の宿場町を形成している(写真左)。「本うだつ」は江戸時代のもの(写真右)、「袖うだつ」は明治時代のものである。どちらも富裕な家でなければ造ることはできなかった。「海野格子」と呼ばれる格子は江戸時代のもので、2階の出格子に見られる。長短2本づつ交互に組み込まれ、海野宿特有の美しい模様を織りなす。
大屋駅=標高481㍍=に到着。ここで自転車走行は終了。約5時間を掛け、しなの鉄道の7駅間を走破した。島崎藤村の住んだ小諸。中山道の宿場町追分宿・小諸宿・海野宿を通り抜け、30㎞のポタリングとなった。自然に触れながら、文学と歴史のロマンを兼ね合わせた、そんな欲張りな旅ができるのが、この小諸経由ポタの醍醐味なのかもしれない。