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ぽたらか

ぽたらかは20年の歴史を閉じます

考えてみましょうー時宗本山から呼び出しがあった。本山の査問委員会で見せてもらうまで、その怪文書に何が書いてあるのかは知らなかった。それには①高田良幻と弟子平尾弘衆は寺の杉を勝手に伐採して、その代金を着服した。(売れる杉などあったか!)②寺の什物である古文書を売却しようとした。(骨董屋の鑑定が終わり、返却してもらって市の倉庫に預けてある)③寺を過激派のアジトにしている。(これには呆れて何も言えない。)

 私たち師弟はそれでも堂々と意見を述べ、席を立った。しかし別室にいる時、一人の老僧が「わが宗門には2人も刑務所を出たものがいる。一人は窃盗だが、もう一人は……。これについていかが思うか。」などと、聞こえよがしに言っている声が聞こえた。和尚さんは耳が遠いが、私は思わず、そいつの禿げ頭に蹴りを入れる衝動を我慢したことに後悔した。連中にとっては、窃盗も反戦も同じなのだ。

 帰山してすぐに、親しい役僧から知らせがあった。査問委員会の前から結論は出ていたという。『高田良玄は僧籍剥奪。二人とも兼務の寺を含めて、即刻追放。』

「和尚さん、何が時宗は僧侶不足だから、檀家の戯言より私たちのことを信じてくれますよーだ。一体、どうするんですか?」

私は怒り狂って、和尚さんを責め立てた。和尚さんはそれでもいつものように穏やかに、「まあ、待ってください。考えてみましょう。」と繰り返すばかり。

 私にはもう一人の弟弟子がいた。反原発反対運動を通して、和尚さんに弟子入りを志願し本山で僧籍を得たのだが、寺には入らず、農業をやっている。その人が、農閑期に寺の普請を手伝ってくれていた。そんな我々に和尚さんは提案してきた。「ねえ、本山から僧籍を剥奪されるのはしゃくだから、こちらの方からやめてやりましょうよ。」異存はない。弟弟子も、「構わないよ。俺は一遍上人が好きなだけだから。普段お経なんて読むことないけど、毎日土を耕しているうち、ふと頭蓋骨の裏に南無阿弥陀仏の六文字がへばりついているのが見えるんだね。」私は思わず、「おい、勝手に兄弟子を超えるな。」そして、三人連名で僧籍返上願なるものを出した。そうしたらなんと、速達で受理しますと来た。よっぽど我々は嫌われていたらしい。それにつけても和尚さん、あれだけ、考えてみましょうと引っ張っておいて、結局出た結論がこれ?…ま、いいけど。

  弟弟子が田植で帰ってくるから、それまでにU字溝を50本注文してあげといてと、言って帰った。裏の池のどぶさらいをして、溝は掘っていてくれたから、そのくらいは任せといてと思ったけれど、1本25KgはするU字溝を108段の石段を持って上がるのはなかなかのもんだ。中頃で一旦へばる。あと少し、あと少し、上に上がったら冷たいビールを飲もう。1本運び上げて、いやもう1本あげていっぱいやった方が美味しいかも。冷たい缶の水滴を想像してやる気を奮い起こし、1カ月かけて50本を一人で運び上げたものだった。あれが冷たいお茶を想像しても、あんな力は出なかったかもしれない。

 やがて、池は清い水を溜め、溢れた山水は排水溝を流れていく。薄暗かった境内は日が差し、すっかり根が腐っているものとばかり思っていた境内の八重桜の古木は見事な濃いピンクの花を咲かせ、池には天然記念物のモリアオガエルの卵が木々にぶら下がっていた。

「弘衆さーん!」と薄暗くなった裏庭から和尚さんの声がするから、池にでもはまったかと慌てて飛び出すと、池の畔に立つ和尚さんの周りを取り囲むように無数の蛍が群舞しているではないか。それはまことに幻想的な世界だった。

 私たちがついに寺を出る日、一人の老人が家族に支えられながら、石段を上がってきた。老人は和尚さんの前に這いつくばり、「ああ、和尚様。申し訳ありません。恩のある和尚様をこんな目に会わせてしまって、私は地獄に落ちます。」とオイオイ泣き始めた。私たちを陥れた総代だ。和尚さんも困って「手を挙げてください。地獄なんか、ありませんよ。全て想像の世界です。何も気にしちゃいませんよ。体をおいたわりくださいね。」と彼の手を取った。彼は彼で家族に関電がいたから、こうせざるをえなかったのかもしれない。

 和尚さんが亡くなって、遺骨はインドの竜樹菩薩のストゥーパに埋めたけれど、半分はこの総代の「責任を持って墓石を建立しますから。」との言葉を信じ、分骨したがー。その10年後、再び寺を訪れたら、どこにも和尚さんの墓はない。なら、遺骨は?と位牌堂に入ってみると、見覚えのある骨壺が転がっていた。中身はなくて、代わりにネズミの糞が入っていた。

「私がネズミの供養になったんですか?こりゃ楽しいですねえ。オッホッホ。」和尚の声が聞こえた。しかしこの時、裏山からざわざわと得体のしれない物の怪が降りてきたようで、鳥肌が立ち慌てて寺を飛び出した。

 和尚さんは仏教嫌いだから、法力はない。でも、純真無垢なオーラがある。その和尚さんがいてこそ、寺は虫や小動物などの楽天地になっていた。元々、刑死者を弔い、その遺体を解剖して、未来の医療の発達に役立たせていた場所だから、罪人の命も無駄にせず、供養できていたと思う。ところが死者への扱いがこのようなものだったら、そりゃ、死者たちは腹が立つだろう。

 悔しい思いで山門を見上げた私を静かに見下ろしている貂の親子に気が付いた。