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ぽたらか

ぽたらかは20年の歴史を閉じます

我が家の家紋は五瓜に五七桐紋である。五三桐紋はありきたりだが、五七は天皇家から下されるもので、かの豊臣秀吉でさえ、変形五七桐紋にデザイン化して使用したくらいだから、正式のこれはあまりにも恐れ多くて…。

 だから、親から生涯かけてこの家紋の謎を解明しろと密命を受けていたのだが、どうも謎が深まるばかりで。

赤松円心の末裔で、嘉吉の乱で赤松家が没落した時に、播磨の平尾村に住していたことから平尾姓を名乗り、農民となって江戸末期まで名字帯刀を許された大庄屋の分家だったらしく本家筋は二引巴紋の赤松家紋。赤松円心は後醍醐天皇の呼びかけに応じて天皇の親政に尽くすのだけれど、さっさと見限って足利尊氏に味方した超合理主義者。(なるほど我が家の先祖らしいかも)後醍醐天皇からいただいた五七桐紋は赤松家隠し紋としてあるにはある。

 そして、この五瓜だが、これは祇園社とか素戔嗚、瀬織津姫といった古事記より古い神様の神紋。久米郡にある瀬織津姫を祀る瀧川神社が五芒星を表わす五弁の桜。その瀧川神社の社人だったらしい。

 あくまでも家紋の推測はついたが、こうなると益々不可思議なのは、私の祖父の母親は二姉妹の妹で、姉の夫と祖父の父親は地方武士の跡取り兄弟で、母親の墓は○○家源蔵妻ヒサとしてあるだけで、その源蔵さんは結婚間もなく縊死したそうで遺骨はない。では祖父の父親はだれかというと、祖父の墓には父親方三兄弟の末男が父親だと書いてある。曽祖母は跡取りの為愛する源蔵さんの弟との間に男子をもうけたが、祖父が生まれてすぐに死んでいる。しかし、お骨はなくとも源蔵妻として墓に入れてくださいと遺言していたか。以後、平尾家跡取りの祖父が他市へ移って墓を移動し、陶芸窯を築いた後もこの家の人はずっと我が家を守っている。元々、菩提寺がなく二姉妹で流れ着いた村で武家に生まれた三兄弟が婿に入って、寺に寄進をしてくれて壬申戸籍に平民となるようにしてくれて影日向なく我が家を守護してくれていたことを幼いころの私も気が付いて疑問に思っていた。だから、私は曽祖母たちは長吏頭だったのではとも思っている。戦前、墓を移す時、手入れの行き届いた日本刀が出て、祖父は大事にしていたが、叔父がチャンバラごっこをしていて鞘から抜けて無くしてしまったらしい。その時は祖父に死ぬほど殴られたそうだが。『源蔵さんが亡くなった年、この辺りで大変なことがあったー中津井騒動』

 村には私の曽祖母は外人さんだったという伝承もあるときく。そんなわけはないが、まあ、いくらいい女だったとしても地方武士とはいえど、三兄弟までもなぜそこまで忠義を尽くしてくれる?

 岡山には後南朝の天皇が御所を構え、江戸幕府綱吉の代まで続いていた。『植月御所の真相』

嘉吉の乱に将軍を暗殺した赤松満祐はこの地方の守護。将軍が寵愛する赤松貞村に守護職をやるという噂を信じてやったこと。その貞村のはとこがうちの先祖らしい。没落した赤松家遺臣が植月御所を襲って,神璽を奪って天皇や皇太子を暗殺し、足利幕府はその功績を汲んで赤松家の再興を認めた。その時はわが家はただの農民だったので関係はない。

 しかし、地元民は恨んでいるだろうなあ、坊主にくけりゃ袈裟まで憎いって。そうそう、袈裟って言えば、ある旅の武士が小屋に一夜の宿をとったところ、大入道が襲ってきて袈裟懸けに切り捨てた。朝になると大きな地蔵尊が真っ二つに切られていたと言うところから、袈裟懸の地名が付いた。大きな石を両断するほどの名刀水田国重発祥の地である。

 つまり、我が家に婿に入った三兄弟は①美人の姉妹に惚れ込んだか、②皇室ゆかりのこの家紋にひかれたか、③我が家が伝える鍛冶の技術か。まあ、おそらく私は①ではないかと思っている…。