(昨年はペットロスだったからお招きしたけれど、あくまでも神様でした。)
秩父の三峰神社は眷属であるオオカミ様をお借りすることができると知り、電車バスを乗り次いで5時間、泊りがけで三峰神社に行ってきた。正直、福島の被災犬だったチョウちゃんが亡くなってから、ぽたらかの爺ちゃんたちも寂しくて、獣の臭いが懐かしくて、オオカミ様がいてくれたら、元々柴犬もオオカミの子孫だし、ドックフードも要らないし、散歩も必要ないしくらいの安易な気持ちでいたら、きちんと神様として敬いお供え物を欠かさないと罰が当たるらしく、大慌てで神具と榊を買ってきた、不信心な元尼僧である。
眷属様拝借を申し込み、本殿で10名ずつくらいの順番でご祈祷を受けるのだが、神職の方が祝詞を称えながら太鼓を打っている時に、太鼓の音と被せるように3~4匹の獣が『ガゥ、グルル…』とけんかをしているような声が聞こえてきて…。それは殺気立っているようでもなく、じゃれているような甘噛みしているような…。周りを見渡すと、それを聞いているのは私だけのようでもあり、太鼓の音がやむとその獣の声もピタリと止んだ。私一人に聞こえているのだろうか?とすれば、ここはペットは入山禁止だけれど、眷属様を自宅にお招きしてもペットには害はないと聞くので、亡くなったチョウちゃんが気に入らないと言うわけでもなさそうだし…。と考えているうちにふと、思い当たることがあった。
昔、とある霊能力者から私には狸様が付いていると言われたことがあった。岡山の実家は両親が死んで、家も墓も亡くなってしまったが、家を片付けて離れる時に陶芸家だった祖父の焼いた御社が庭にあった。それが、3メートルも横跳びにふっとんだ。私は元に戻して写真を撮った。昔のガラケーだから、横にして撮ったのだが、帰りの新幹線で見ると御社は横になっているのに、中に写りこんだ獣のようなものは真っすぐ、私を見ている。それが正に狸だった。「わしも連れて行かんかい!」とばかりに、根城にしていた御社ごと飛んだのだと思う。岡山には南蛮の転び伴天連が炭鉱跡に住み着いて、その伴天連亡き後もその伴天連に可愛がられた狸が農耕の神様キュウモウ狸様として信仰されている。それがなぜ私にという疑問はあるが、気配はいつも感じていた。
生きたペットには影響ないけれど、同じ神様で狸とあっちゃ、そりゃ気にくわないだろうな。まずかったかな…。
と心配していると、帰りのバスを待っている間に売店でコーヒーを飲んで、土産物を買っていたら慌てた。ICカードがない。チャージしたばかりだから、1万円以上残っている。バックの小袋にスマホと一緒に入れといたのに、それがない!
今来た道を探している時間はない、やれ、どうしようと悩みながら店を出ると出て直ぐの道路上にパスモが落ちていたのだ。私が店の中にいる間、多くの人がそこを通ったはずなのに、私にか見えないように置かれているなんて…。
ちゃんと眷属様は付いてきて見守ってくださったのだ。亡くなったチョウちゃんも、いつもまるで秘書のように私を励まし、ときには叱ってくれていた。三峰神社のオオカミ様もチョウちゃんと同じように慈悲深く「まったく、この人はおっちょこちょいなんだから…。」と呆れながら、これからも見守ってくださるのだろう。てゆうか、出来るだけ自分でも気を付けます。でも、お願い。キュウモウ狸様と仲よくして…。