昨夜は風邪がようやく山が過ぎて、咳がでたら隣の部屋に寝る息子を起こしてしまうから、マスクをして咳が出たら温かいお湯を飲んでと気を張って寝たにもかかわらず、今朝は1時間半も寝過ごしてしまった。
実は寝付いてすぐに長い夢を見てしまったのだ。私は剃髪に墨染法衣姿で廃校のような建物の中にいた。目の前には壇上に小さな木片に名前が書いてあり、それらが小山のようにうずたかく積まれていて、その前には花束が添えられていた。私の後ろにはすでに亡くなられた人であろうか、半透明の数人の男女がうなだれて座っていた。
今の私には経本がないと何一つ宙で覚えているお経はないのにもかかわらず、夢の中の私は、時宗が葬式に読む経に偈文、礼賛や陀羅尼まで、見事に我ながら惚れ惚れする美声でやり遂げた。終わって、案内の人(?)が出口を誘導してくれ、庭を通って門のようなものをくぐったら、そこになぜか日本のテレビ局の取材班がいて「あなたはなぜここに?」とマイクをさし向けるから。「私は位牌の性根抜きを頼まれまして。」(何?位牌?お性根抜き?そんなこと聞いてないぞ。)と慌てる私の心の声は無視して、夢の中の私は得意げに位牌のお性根抜きの説明をしてやがる。テレビクルーも飽きたのか、「なら、あそこに招待されたのですね?」と指さした方向には、白い洋風のホテルのような建物。てゆうか、門をくぐって目の前が日本では見られない風景の南国の波止場だったことに、ようやく私は気が付いた。「あそこで今日は何が行われてるんですか?」と逆質問したら。慰霊祭だという。『じゃ、私は裏慰霊祭に呼ばれたっての?』…そんな夢だった。
起きて直ぐに12月26日に何があったのか、スマホで検索してみたら、何と2004年12月26日インドネシアスマトラ沖巨大津波によって23万人が亡くなるという大災害が起きた日だった。
インドネシアといえば、敗戦後も千人近くの残留日本兵がいて、オランダからの独立を支援して戦い、若い下級兵士が多かったから、地元の女性と結婚して今は孫ひ孫までいる人も多かったはずだ。しかし、島民にとっては統治は日本でもオランダでもどこでもよくて、ただ戦争に巻き込まれたこと自体がいい迷惑で、元残留日本人やその家族には冷たい視線と壮絶な貧困があったという。
夢から覚めた私は慌てて、じっちゃんたちの朝ご飯を作り、ようやく一息ついた時、なんだか凄い重労働をやり遂げたような達成感と疲労感を覚えていることに気が付いた。
インドネシアかあ、行ってみないといけんかなあ…。。。
