身近にある戦争の傷跡 | ぽたらか

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ぽたらかは20年の歴史を閉じます

  岡山県北の一宮に詣でた時、そこの禰宜の方が額に掲げられた一遍聖絵を見せてくださったことがある。一遍の一行は全国を遊行する時、人々が集まりやすいとして主に神社の境内で踊念仏をしていた。

 「私はね、この一遍さんが好きなんですよ。教団を組織しようと思わず、神も仏も捨て、往生を願う心まで捨てられた。それは国家神道のような宗教が権力を持つことの危険性を示されたのではないかと思うのです。だから、うちの神社は先代から神社神道を脱退し、単立になっているんです。」

 神道界にも反戦を唱えた方は多くいたという。(むしろ、仏教界より多かったかも)

 

 私の養父は16の時、志願して出兵した。南方のキスカまで行った数少ない生き残りだった。だが、恩給は受け取らなかった。戦争の話はしたがらなかったが、私に話して聞かせてくれたのは、『始めて、銃剣を持って敵兵に突進していった時、足がすくんで一人立ち止まっていたら、上官に押されて思わず〈ブスリ〉と、あの時の感触は忘れられない。嫌で嫌で…、今でも思い出すと苦しくなる。』『復員して姫路辺りを電車に乗っていた時、B29が数機上空から電車を撃ってきた、その電車には女学生が大勢いて、引率の若い男性教師は「外へ逃げろ!」と生徒たちに命令をした。外には隠れる所も何もない、上空からは丸見えだ。「外へ出ちゃいかん!」とわしは必死に止めたんだが、生徒たちはみな外へ出て、土手に伏せた。案の定、みんな撃たれて、人形のように血だるまになって土手を転げ落ちた。わしはこの野郎!とB29を睨みつけたら、操縦室の敵兵は笑っていた。そのくらい、奴らは低空飛行で子供たちを平気で機銃掃射していたんだ。戦争は人が人で無くなる。戦争にどちら側にも大義名分はない。どちらも負けだ。」その2話だけだった。

 

 ぽたらかに入所した人の中で最高齢は90歳の山本さんだった。(7年前)いくつもの無料低額宿泊所をトラブって追い出され、うちにきたのだが。陽気によくしゃべり、問題はないようだけれど、それは初対面で。来た日がちょうどクリスマスだったので、持ち金7,8千円をすべて使い、コンビニにあるショートケーキを全部買い込んで、それを一息に平らげてしまった。そして、翌日お金が無くなったと前借する気で区役所に歩いて行ったー。この人の食欲は異常で、食べかけのパンやら菓子などを布団に隠す。そのためにダニやらアリやらゴキブリやらネズミやら…。いやもう、大変で。

 私は彼にはどう見ても精神疾患があるような気がして、ケースワーカーに精神科の受診を勧めて、ついに精神病院に入院となった。この人は、満州から一人で日本に帰ってきたそうだ。親も兄弟もなく、たった10歳で…。どれだけ、怖くそしてひもじかっただろう。そして、帰ったら帰ったで引き取り手はなく。戦争孤児として生き抜いたのだ。だからこそ、食べ物に対する異常な執着が症状として現れ、統合失調症を発症したのではないか。

 

 いつの世も戦火は止みそうもない。戦争に勝者はない。どんなに妥協しても、戦争だけは避けて欲しいものだ。