祖父は自らの実家のことは、子供たちにも妻にも決して口を割らなかった。出生地に同じ姓の人たちがいるが、全く交流がなかった、そこで、村にあった唯一の寺に過去帳にないか、尋ねて見たことがある。すると、祖父の母(曽祖母)は二人姉妹で三人の男兄弟が婿養子に来て、始めて寺の檀家になった。2対3……?妹に最初婿に来た人が縊死自殺して、三人兄弟の末男との間に祖父を産んで、実母は産後の肥立ちが悪くて直ぐに亡くなったらしい。そこで姉夫婦の元で祖父は育てられた。
祖父は14歳のころから陶芸の窯元で修行をし、祖母と結婚をして故郷を出てからは一切、出生の事は封印をした。その子供たちは戸籍と家紋で知るのみである。私の母(祖父の長女)は「我が家の家紋は珍しいから、お前は歴史が詳しいから、先祖のことを調べてくれ。」と頼まれてはいたが。そのままになっていた。墓を移す時に立派な刀剣がたくさん出て来たので、おそらく士族なのではないかという情報のみ。
名字帯刀を許されていても、明治4年の壬申戸籍戸籍で『新』と書き加えられる事案もたくさんあり、五七桐紋だからやんごとなき家系かもと、母は期待していたようだが、母の死が真実が判明する前でよかった。我が家は宗門人別帳にさえ、載っていなかったー。
岡山では江戸末期に渋染め一揆があった。エタヒニンは百姓と同じものを着てはならぬという命令に反旗を翻した被差別民たち。獄死者を除いて首謀者だけが刑に処せられた後、藩侯は取り下げた。首謀者のお頭は「私達は誇りを持ってお上の御用を司っている。私たちだけが明らかに農民とは違うものを着ていると隠密の御用ははたせない。」と上訴した文が残っている。差別に怒って一揆を起こしたのではない。
戸籍に載らないのは皇族とエタと呼ばれた者たちだけ。しかも、この現代に未だに戸籍に載らない皇族がいて、差別は本当に無くなったのだろうか。世界で戸籍があるのは、中国と台湾と日本の三か国である。中でも選択的夫婦別姓にさえ、政府が反対しているのは世界広しとは言えども、日本のみ。
私たちの先祖は警察の役割をしていたのだ。役人を訓読みにしたら『エタチ』である。
だから我々親子はこんなに好きなんだ。隠密とか同心とか捕吏とかー。かっこいいもの~
江戸時代は足抜けして商売で儲けて、士族身分を金で買うこともできたらしい。士農工商の身分制度は嘘だったーと今は
学校で教えているね。正しい歴史を学ぶことが一番大事だと思う。
