今こそ、宗教を捨てようぜ! | ぽたらか

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ぽたらかは20年の歴史を閉じます

                              PLAN75見てきました。観客の殆ど同年代決して若くはない方々でー。

その後、要人暗殺事件があり、奇しくも宗教について改めて考えさせられることとなりました。

 

私は、時衆という宗派の坊さんをやっていたことがあり、寮で亡くなる人があれば、法衣を着て、葬式をすることもあります。だからといって、神や仏は信じていません。人の心に神や仏があるのであって、心の外にあるのではないからです。でも、なぜ坊主になったのかといえば、一遍さんがかっこよかったから、だけです。

 

葬式に寮生を参加させることもありません。終わって「おーい、今から通夜ぶるまいするぞー。」と声を掛ければ、「うおーい。」とみんな出てきます。でも、お経をあげているときに誰かがじっと後ろで聞き入っている気配を感じる時があり、振り向くとこのチョウちゃんが頭をたれて、腕を交差させて肉球を合わせて合掌しているのです。(今は太ってできないが)

 

犬のチョウちゃんには宗教心なんてないのです。ただ、死は理解できます。どんな動物だって、仲間の死を悼むのです。ボス猿は仲間の命を身を挺して守ります。ただ、色んな神様がいて、たくさん貢ぐと素敵な天国に生まれ変われるとか、人間界に生まれ変わるとか。そんなことを信じている動物は人間以外でありません。

 

映画では、75歳以上は生活保護か安楽死か選ぶことができる制度が出来たというリアルな近未来を描いています。『行政の担当は営業マンのように勧めてくるし、コールセンターは気が変わらないように誘導しろといわれる。老人ホームの介護は借金を負う技能実習生たち。そんな彼らが高齢者を説得して送りだす先は、無機質な建物に並ぶベッド、事務的に臭気ガスをくわえさせる。誰もそばにいてくれるわけではない。死ぬとこれもまた淡々と火葬にして捨てられるのだー。疑問をもった若者たちは新しい人生に出ていく、というもの』

主人公の倍賞千恵子は仲間とホテルの清掃人として働いていたが、「年寄りを働かせて可哀そう」という投書から全員が首になる。ハローワークでは高齢のため仕事はない。団地の退去を求められ、不動産屋にいけば、生活保護を勧められる。まだ、働けるのに。しかし、仲間の孤独死を見て、10万円の給付金をもらって安楽死病棟に向かうのだがー。最後は必死に逃げ出して夕日に沈む街並みを見下ろし、晴れやかな顔で歌う。「リンゴの木の下で、明日また会いましょう~。」

 

団塊の世代が後期高齢者になる日。年金だけでは足りぬ。どんなに体力に自信があってもまず、仕事がない。かといって、みんながみんな生活保護に頼れば国家財政が破綻する。たかだか10万円で死んでくれればという政策が実現されても、不思議はないかな。あまりにもリアルなので、ショックでしたね。

 

ウクライナやミャンマーや、世界各地の紛争は大概、原因は宗教でしょう。全体主義も宗教みたいなものだし。戦争や紛争が及ぼす経済的損失は計り知れないものです。戦っている人たち、被害に遭っている民衆もみんな働けないし。結局頼りになるのは同じ種の人間なんですから、頼りにならない神や仏なんか、見放してみんないったん宗教を捨てろって言いたいですね。

 

もし、私が神様だったら(いや例えですよ)人間はみな我が子でしょう。我が子はみな可愛いですよ。我が子の国が違うとか民族が違うとか、貢物が足りないとか、そんなちっぽけなことでご機嫌損ねるのはそりゃ、親じゃないし神様じゃない。こんな時代だからこそ、宗教に頼るのではなく、周りの人々と助け合い、自分に自信を持とうではないですか。みんな互いの肉球を合わせてー。