15年前、荒川土手のホームレスが中学生のいたずらでテントに花火が投げ込まれ、焼死した事件があった。
浄土真宗の僧侶である友人が、「このコロナ禍で葬式や法事に呼ばれることがないので、生活に困っている。人形供養をしようと思っているんだけれど、どう思う?」と相談があった。私は「ご祈祷ですか?親鸞聖人はそういうこと一番に否定されていたんじゃないですか?」と答えたけれど。宗教界は特に仏教系は最近本当に困っているらしい。
浄土系は念仏をご祈祷やご供養のためにもうしてはならないと戒められているけれど、それじゃ坊さんはなんで飯食っていくの?って問題だよね。とはいえ葬式しなくても埋葬できるし、知らない坊主がお経を訓読したってしなくったって成仏するものはするし。
ぽたらかでは家賃が安いから事故物件を承知で借りることがよくある。孤独死した部屋に「前の住人が出てくるんだけど?」「ああ、話し相手になってやれ、迷惑ならお祓いしてやるよ。」「いいよ、そうだろうなって思って、酒の相手さしてるんだ。そのうち気が済めば昇っていくよ。」なんて。
仏教の説く輪廻なんて原始仏教にはないし、お釈迦様は死後の世界をおっしゃっていないし。人知の届かぬ神の存在は勿論信じるが、宗教組織や宗教者は本当に存在必要?
寺院の伽藍や巨大な宗教施設は文化として維持しなければいけないものもあるだろうが、神や仏は自分の信者だけしか面倒見ないなんて狭い了見じゃないと思う。世の宗教者よ、一度原点に立ち返り、地域社会の福祉のために開放せよ。下らぬ説教はいいから、苦しむ人の話を聞いてあげて欲しい。民生委員や保護司は大変な仕事だけれど、みんなボランティアだ。昔はこういった仕事は僧侶の役目だった、だから僧侶は尊敬されていた。お布施は喜捨といって出す人が徳を積む。もらう人は業を積む。
コロナ患者を受け入れている病院の医療崩壊が始まっている。人工呼吸器やエクモを扱う医療従事者の手が足りない。ことに70代80代の介護が必要な高齢者は密着して看護するので、医療従事者の感染が深刻である。私もなにかお手伝いができればとヤキモキしているが、如何せん、.自身が自粛を求められている高齢者だ。せめてうちのじいちゃんたちや私自身が感染したら、寮に待機させて入院して足を引っ張らないようにしたい。人工呼吸器は若い人に使って、これからの日本を立て直してほしい。75歳以上は人工呼吸器を使わないというトリアージを日本でも議論する時がきたのではないだろうか。私も60代後半、もう充分だ。こういう時こそ、医療従事者ではなくて、宗教者の出番かもしれない。
(上記の写真は現場があまりにも殺風景なので草原に花が咲いているイメージを念じたら、映っちゃった。被害者の遺骨は探していた家族に抱かれて帰っていったそうだー。)