いのちの電話にかける前に | ぽたらか

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ぽたらかは20年の歴史を閉じます

宇宙は無限。始まりもなく終わりもなく、天国(浄土)も地獄もなくいくつもの世界が重なってある。

 

自殺の連鎖が止まらない今だからこそ、敢えて言います。仏教でいうところの浄土も極楽もあの世にはありません。だから、自殺した人は成仏しないだとか、地獄で苦しむとか脅しに恐れなくてよろしい。もちろん、自殺はだめです。なぜだめかというと、残された家族や友人たちが苦しむからです。自分を信じてもらえなかった、助けられなかった心の痛みに生涯もだえ苦しむことになるからです。自殺を報道する度にいのちの電話に相談してくださいと呼びかけていますが、いのちの電話はみなボランティアです。交通費も出ません。だから、自殺者が多くなる深夜帯には出られません。何十回も電話して出てもらえなかったときは余計の挫折感を味わいます。 

 

遺族となる家族に苦しめられた人は、こう考えてください。この世界はいくつもの世界が並行してあるんだから、親なんてこの世の借り腹なんですから。私も若いときにそれで悩んだことがありました。その時、親鸞聖人の言葉に「我は一度も父母の孝養にとて念仏申しそうらわず」とあり、なんとなれば父母といえどこの世の借り腹なのだからとあって、それを知った時には目からうろこでした。

 

原子のことを仏教では極微といいますが、原子の間を電子が飛び交い物質を形成しています。仏教ではその電子を識とします。量子力学では人間も原子から成り立っていて記憶は脳の中だけに入っているわけではないそうです。どんなに固い物質も原子と原子の間はスッカスカで識が自由に飛び交っていると、唯識論をぶっ飛んで解釈すればそうなります。

 

私は浄土系のお坊さんになったことがあります。毎日読んだお経には荘厳な浄土の様を説いてあり、そこは十万憶の銀河を超えて遥かな世界にあるといえば、それは弾指の間にあるといったり、あるいは己の心の中にあると言ったり、その矛盾が極意なんです。

 

宿題を途中で放り出して逃げ出せば、別の世に生まれ変わっても同じ苦しみをエンドレスで繰り返されるだけらしいです。

だから、生きてください。