原点に帰る | ぽたらか

ぽたらか

ぽたらかは20年の歴史を閉じます

3年前の夏、隅田川に飛び込んだOさん。精神科訪問診療のDr.が女医に変わった翌日、寮を飛び出して行方不明に。その一か月後、ドザエモンとなったがその死に顔はこんなに穏やかだった。精神科医の発言には時として毒がある。

 

みんなが集まって仕事をしたいなあ、と墨田の下町の廃工場を借りて始めたのが、およそ十七年前。手助けはするけれど、してもらって当たり前と思うな。自分たちでも努力をしろという願いを込めて、観音浄土という意味のサンスクリット語の音写(ぽたらか)と命名した。死んでいく阿弥陀浄土とは違い、この世で実現される理想国土のことだそうな。

 最初はまず、1円起業で有限会社を立ち上げて、同時に特定非営利活動法人をも設立した。寄付がもらえるし、助成金がもらえるだろうと狸の皮算用をもくろんでいたのだが。見事に当てが外れた。それに、このホームレス支援の特定非営利活動法人は、胡散臭い所が多い。

 余剰金どころか、個人的に借金までして、カンボジアに老人ホームを建てるなど、ずいぶんばからしいことをしたあげく、カンボジア老人ホームの構想を持ち込んだ友人で三人しかいない役員のサジド女史(日本人)が急死して、特定非営利活動法人の解散となったのだが。

 その老人ホームは、少しずつ壁から屋根から建築資材をはがされて盗まれ、今は浮浪者が居ついて、結局カンボジア流の老人ホームになっているらしいから、それはそれでいいかと思っている。

 ただ、ぽたらかでは外階段しかない二階に要介護者を住まわせられないので、アパートを法人契約で借り受けていたが、実際の家賃が生活保護の住宅扶助費を上回り、住人の失火で火事になった所もあり、つくづく活動をやめたいと思うようになっていった。

 ところがそんな中、私は花の年金生活に入ると夢見ていたら、なんと月5万円弱ではないか。美人薄命というから、長生きするとして、これはまずい。就職活動をしてみたが、新しい仕事を始めるには歳をとりすぎていることに気が付いた。

 それに、私に死に水をとってもらうのを当てにしているじいちゃんたちを見捨てるわけにはいかないから、ぽたらか寮だけは維持していかなくてはいけないし。

 そこで、まず非営利的な活動は止め、人件費の無駄は省き、ぽたらかの二階に引っ越して、爺ちゃんたちの世話をする、……ことにした。

 更に、特定非営利活動法人は解散し、理事一人でも運営できる一般社団法人に変更した。なんのことはない、まずは自分の老後の心配をしたわけだ。

 しかし社名はやっぱり、野宿者協働組合ぽたらかだ。失踪した人たちも、いつの日か帰りたくなったら、たとえ骨だけになっても、「お帰り!」といつでも言ってやるつもりだ。

 何度も何度も失踪して、それでも見つけてもらいたくて、ちゃんと目立つところで野宿していた藤野さんは、肺に真菌症という大きな塊がある。ぽたらかでは、禁煙というわけではない。ちゃんと外の喫煙所でタバコを吸えばいいだけだ。でも、藤野さんは部屋でタバコを吸う。可燃性のゴミ箱に吸殻を捨てて、ぼや騒ぎを出したこともしばしば。

 大きな病院で肺の塊を取ってもらおう、そうすればタバコを吸えば、苦しくてやめられるかもしれないと思って、日本医大に連れて行った。

「寒い日に外で裸で寝ていて、風邪を引いたから治してくれって、話ですよ。まず服を着なさいよ。それと同じですよ。この体で肺を切除してタバコを吸ったら、即死ですよ。」

 あ、いや。それを狙っているんですけれどね……。藤野さんは最後の失踪時、病院に搬送されて、いつものように肺の影を結核と誤診されて、入院となった。

 彼は以前、台東区の『フリーダム』というNPOに囲い込まれていた時から、台東区の保護を受けていた。

 台東区のケースワーカーを通じて、退院したらタバコは喫煙所で吸うという約束が守れるんだったら、ぽたらかへ帰ってもいいと伝えてもらっていたが。

 案の定、病室でタバコを吸っているのがみつかり、病院を追い出されて、北関東の老人ホームに入居することになった。

 長い間、ぽたらかに出たり入ったりしていたので、元気にしているかと手紙を出したいので、施設を教えてくれとケースワーカーに言ったのだけれど、『個人情報なので教えられない。』の一点張り。

 墨田区なら、多少の融通は利くのだけれど、他区なら仕方がない。あんなに帰巣本能だけはあったのだが、今度ばかりは帰って来れそうにないようだ。

 酒の飲みすぎで痛風になり、手足に巨大な結節が出来て、這いずって歩くようになりながらも、酒はやめられない男だとか、高次脳機能障害で攻撃的な人格となり、もう行くところはないのに、「こんなところはでていってやる!」と騒いで出ていく人には、待ってました!とばかりに、「どうぞー。」と戸を開ける

 そんな人に限って、路地の曲がり角で、肩を落とし、振り返りそうになる。こちらは慌てて、戸を閉める。中には小一時間も玄関戸の前で、ぎゃあぎゃあとわめいていたばあさんもいたが、決して開けない。私たちは聖人君子の寄り集まりじゃないし。

 とはいっても、そんな彼らが、精神疾患も陰性期になって静かになったら、縁があったら帰っておいでと言いたい。それまではお外にいたって、たくましいから大丈夫。

 村田さんが倒れた時、いつものように羽ばたき振戦の発作かと思ったら、極度の貧血で入院した。末期の肝臓がんだった。「手の施しようがありませんし、うちの看護婦もあまり彼が暴れるんで、困ってます。連れて帰ってもらえませんか?」と医者にいわれ、『ぽたらかに帰るぞ』と本人に伝えるために病室に入った。

「あらまあ、村田さんって、こんな顔ができるの?嘘みたい。」私の顔をみたとたん、満面の笑みで、さらに帰れるという事を聞いて、飛び上がって喜んだ。

 しかし翌日、彼は病院で息を引き取った。自分の死が信じられないのか、驚いたように目をむいている村じぃの死に顔を私は、両手で包んでやったら、村じぃはやっぱりいつものように笑顔になった。

「きゃ、村田さんの顔が変わっている。今何をしたんですか?」後ろで看護婦が騒いでいる。私は村じぃの遺体を運ぶ用意をするため、病室を出た。

 また私はいい年をして、五十代で発症した若年性アルツハイマー認知症をセクハラで起こすのが朝の日課だ。

「ほらー起きて朝飯食わないと、キスするぞー。」

 明治大学法学部を卒業し、昔は弁護士を目指していた柿本さんは、警備会社の寮から同僚らが荷物を持って、『よろしくお願いいたします。』と頭を下げて、連れて来てくれた。来た当初はほぼ毎朝、明け方まだ暗い中、鉄橋を歩いて葛飾区で警察に保護されることもしばしばだった。始発の電車が、まだ動かない時間だったからよかったものの、ひやひやさせられどうしだった。彼はいつものように仕事に行こうと思ったらしい。そんな真面目で誠実な人だから、周りの人たちが真剣に心配してくれるのだろう。

 ボケても、いい人は愛くるしいボケ方をする。禿げた頭の先まで真っ赤になって、それでも私が抱きついて起こしに来るのを、毎朝なにげに心待ちをしている。と思っている。

 現在、ぽたらか寮は全室個室化にして、定員七名。京島寮に三名。アパートの部屋を借り上げて世話をしているのが、六名。ボランティアとして手伝ってくれる難民申請者が三名。役員と営繕担当の白戸さんと賄いとして私の息子。総勢二十二名と忘れてはいけない、大事な施設犬オチョウが一匹。

 世界が目まぐるしく変わっていく中で、墨田の下町にぽっかりと異次元空間があって、そこがわが野宿者協働組合ぽたらかである。

 

                     完