なんて言ってもだれも知るわけないか。時宗の全寮制の学校にいた時に私の師僧、高田良幻は24歳で寮の幹事をしていて、入営する学友の送別会の送辞に「仏徒である我々が人殺しの兵士になれようか。しかし、それを拒否すれば当然刑罰を受ける。願わくは仏徒として常に非戦不殺生を脳裏に銘じてもらいたい。」と言っておくりだした。
しかしその後、親友が2人までも兵役を拒否して兵舎で自殺を図ったのである。仏徒として自殺は戒められている。でもそれより、殺すこと、人を使って殺すこと、殺されることを止めなかったことも同じ罪である。
和尚さんがそのことを知らずに自殺した親友に宛てた手紙が官憲の知れることとなり、不敬罪として巣鴨で2年間の服役。その後甲府の師僧の寺へ預かりの身となったが、甲府連隊に反戦ビラを配ろうとして密告され、また1年間の服役。
以後、若狭小浜の貧乏寺の住職になってからも檀家の出兵には「頼むから空に向けて鉄砲を撃ってくれ、そしてあなたはどんなみっともないことをしても生きて帰ってくれ。」というんでアカ坊主と罵られた。それでも貧しい人にはお金ではなく野菜の布施をありがたくうけとって慕われたという。
昭和天皇が亡くなる前に反戦集会に参加した。そこでは誰も師僧のことなんか見向きもしないんで、私が師僧を紹介し、体験者の声も聞いたらどうですかと発言を促したら和尚さんは「天皇一人に責任があるんじゃありません。あの時代を生きていた私達、いえこの私こそ、戦争を止められなかった責任があるんです。」と腹の底から搾り出すように言い放った時、会場は静まり返った。
今再び、平和憲法の根幹が揺るがされようとしている。ドンキホーテのように大きな流れに逆らおうとしていた名も無き市民がいたことも忘れないで欲しい。1月23日は和尚さんの20年忌命日である。享年99歳。