ようやく、火葬を済ませて遺骨を抱えて戻ったら、透析患者のOさんがいないという。今日は落ち着かない様子だったというが、後半年も生きられればいいと言われながらも1年半、ここにいる。何度か救急車で運ばれて、三途の川を渡り損ねて帰ってきた。息を吹き返す度、看護婦さんの胸を触っては「おっぱい、おっぱい」とやりだす。
この人の葬式には棺桶の中に介護事業所のヘルパーさんたちから着古しのブラジャーを集めて、花の替わりに顔を囲んでやろうと、もうすでに用意してある。みんなおばさんばかりだが、わかりゃしない。ただ、少なくとも、私のはない。使うことがないからだ。
そんなOさんだが、自分の死について考えている風には見えなかったが、ここから棺桶が出て行くのを見て、さすがに落ち込んだのか。目が見えないからどこかで行きだおれているのかと、みんなで探し回った。しかし、行きだおれている人を見て見ぬふりをするような人はこの墨田の下町にはいない。
死を身近に感じたとき、人はどうするだろうか?Oさんは川越の鋳物工場で働いていたといっていた。その時世帯を持っていたというので、最後に会いたくなったんじゃないかな?
障害加算があったので4,5万円はあったはずだ。タクシーにのって、これでいってくれといえばどこでも行ける。都内の警察には捜索願をだしたので、行き倒れがあれば直ぐに通報されるだろうが、都外だったらどうだろうか。やだよ、二度あることは三度あるって。