ホームレスだからって、みながみな同じような人生を歩んでなんかいない。むしろ、一万人に一人かと思うような珍しい過去を持っている人が多いかもしれない。元N航空のインドネシア支店長だったという、江東橋下在住のお方がぽたらかへ入寮してきたときはけっさくだった。
福祉課で無銭飲食で掴まった人を預かってくれないかと電話があり、迎えにいった。厚生年金は充分にあり、英語はぺらぺらだし、上記の肩書きは偽りではないらしい。「ただ、本当かただの誇大妄想かわかりませんが、M財閥の御曹司だっていってるんですが、少し痴呆があるようでして。」とケースワーカーにいわれた。「さようでございますか。このおかたがあたくしをお世話してくださるんで、恐れ入ります。ただ、ちょっとお断りをしておきますが、あたくしは来月ワシントンにいかなくちゃいけません。来月一ヶ月ちょっとおひまいただけますか?よろしゅうございますか?」とぺらぺらまくしたてる。こりゃちょっとってもんじゃない。そうとういってるなと思った。「はいはい、先生ところで鼻水が出てます。」そのお方の顔をぬぐってやって連れて帰ったものだった。
毎週日曜日には六本木にあるキリスト教会にいく。なぜ六本木かというと若い外人女性が多いからだそうだ。とうに80歳は超えているじいさんだ。英語はぺらぺらだけど、ただのじいさんだ。これがまた、躁鬱病でうつの時は大人しくていいけれど、躁状態のけたたましいこと、15分しか寝ない。夜通し起きてごそごそしているから、みんなたまったもんじゃない。それだけではなく、自分でも疲れるのか昼間眠いという。黙って寝ればいいものを「あたくしこれから寝ますから、起こさないでください。よろしゅうございますね。」とみんなに言い回っている。耳の遠い呆けたじいさまにまで。「だから寝りゃいいじゃないか!」と思わずどなったこともしばしば。
先月の躁は何日だったから、もう後何日でうつになるかな?とカレンダーを見つつ、みんなで指折り数えたものだった。その人が突如出ていくと荷物をまとめたときは、さすがにだれも引き留めなかった。あの後、また無銭飲食をして掴まって、今はアパート暮らしをしていると聞く。
出ていって、一ヶ月ほどして裁判所からの封書が彼宛に届いた。それが財産放棄を促す、親族からのもので、その親族の名をみて私たちは飛び上がって驚いた。なんとあのM財閥だったのだ。あのほら吹き男爵はほらを吹いてなかったのだ。M財閥のしかも跡継ぎの長男だったのだ。