大晦日も普通に仕事して、

普通に21世紀を迎えたわけですが、

21世紀初日の元日も普通に仕事をしました。

当時の僕は、現場に出ている期間は

代休とお金を貯める期間だと考えていたので

残業も休日出勤も全然苦ではなかったのですが、

さすがにギニアに来てから1日も休みがなかったり、

挙句の果てには、徹夜でデータ整理をしたまま

ご飯を食べる暇もなく12カ所の現場を見て回るという

33時間連続勤務のハードスケジュールの時は、

移動中の車で、ガタガタ道にもかかわらず、

ドア窓に激しく頭を打ち付けながら爆睡しました。

若かったから出来たことだと思います。

しかし、いくら若いからといってこんな生活を続けていては

いつか過労死してしまうのではないだろうか。

そんなことを考えていました。

 

閑話休題。

 

これまで仕事の思い出シリーズは、

当時使っていた手帳やフィールドノート、

PCデータを参考にしながら

自分の記憶を頼りに書き綴ってきたのですが、

2001年はそれに加え、

ギニアに旅立つときに後輩からもらった

「マイブック」を日本から持参していました。

↓これ。

 

僕はこのマイブックを日記のように使っていたので、

これを読み返すことで当時のことを思い出すことが出来ます。

ああ、日記って便利。

例えば、1月3日(水)のページには

『昨日初めて家に国際電話をかけてみた』とあります。

あと、大使館の人から聞いた話として、

ギニアの当時の識字率は40%程度と書いてあります。

日本では誰でも日本語の読み書きが出来て当たり前という感覚ですが、

発展途上国と呼ばれるような国では、

今でも識字率がそれほど高くないのではないかと思います。

国が豊かになるためには教育がとても重要です。

しかし、飲み水が簡単に手に入らないような地域では

子どもが生活に必要な水を手に入れるため、

毎日水汲みをして勉強する時間を奪われてしまっているという現状もあり、

そう考えると僕がやっていた仕事は

ギニアの子どもたちのためになっていたのかもしれないと思います。