今回は当時のギニアの電話事情について書いておこうと思います。
今でこそ、日本ではほとんどの人がスマホを持っており、
海外でも使えるようになっているのかもしれませんが、
当時は携帯電話の所有者も今ほど多くはなく、
ようやく普及率も50%を超えた程度で、
しかも海外で使用するにはかなり高額な通話料がかかるような設定でした。
なので、携帯電話は日本に置いていきました。
そもそもギニアでは持参しても使えなかったのではないでしょうか。
僕たちが滞在していたボケでは、
電話回線は不安定だったし、
電気も一日中来ていたわけではなく、
日中は停電していたので、
電気が来る午後になるまで、
事務所では発電機を回して電源を確保していました。
そのため、僕は日本から衛星電話を持たされたのでした。
一応、現地でも携帯電話はあって、
ノキアのものが出回っていたと思います。
ただ、僕は携帯電話を持たせてもらえなかったため、
私用で日本に電話をするには事務所の固定電話を使うか、
スガさんの携帯電話を借りるしかありませんでした。
事務所には常にスガさんがいて、昼夜問わず、
ずっと仕事をしていました。
そんな所で私用の電話をかけることなどできるわけもなく、
結局スガさんの携帯電話を借りるしかなかったわけですが、
なかなか電話を貸してほしいと言い出せず、
親にすら2週間以上連絡できませんでした。
ちなみに私用で電話を使った場合、
月毎に請求してもらい、
現地通貨で支払っていました。
当時のレートで1分230円くらいでした。
5分話しただけで1000円オーバー。。。
僕は毎日の海外手当のうち、1000円分を現地通貨でもらうことにしていましたが、
毎日仕事をするだけで休みもなく、食費や宿代、洗濯や部屋の掃除などの家事も全て
会社持ちだったので、特に使い道もなかったため、手持ちのお金は余っていました。
それで気を抜いたのか、
それともやりきれなくなったのか、
おそらく後者だったと思いますが、
そのうち日本に電話を頻繁に掛けるようになっていきました。
ギニアと日本の時差は7時間。
僕が電話を掛けられる夜の時間は、
日本時間の早朝です。
従って、掛ける相手も平日仕事をしてない人か、
もしくは土日に早朝から起きている人に限られました。
それでも『仕事ばかりの日々に潤いを』とばかりに電話をしていたので、
段々電話代が嵩むようになり、
6月には電話代が626500GNF(日本円で42000円くらい)になってしまい、
さすがに控えようと思いました。
しかし、精神的にそれくらい追い詰められていたのだと思います。