自分の終活の一環として、日本のみならず、世界中を旅したいと願うのは、ひとつには、おそらく皆さんと同じく「死ぬまでに行きたい!世界の絶景/日本の絶景」↓ を求めてのことです。

 

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そして私にとってのもうひとつの目的は、自分の前世の地を訪ねたいという想いです。

 

もし前世があるとすれば、日本に定住して日本人以上に日本人らしく暮らしている外国から来た方々を見ると、前世はきっと日本人だったに違いない・・と思います。

 

また、英語の苦手な人は、前世英語圏に生まれていなかったから。英語がダメでも中国語だったら上達が早いとか、

始めてすぐにピアノが上達する人、生まれつき何かに秀でている人などなど、過去世の履歴と絡めると、何となく勉強の得手や性格傾向や行動の説明がつくような気がしませんか?

例えば、小池百合子氏はきっと前世はアラビアのマリク(=アラビア語で王を意味する称号)だったのかも知れませんね。

 

友人のひとりは、初めてカルカッタの地に降り立ったとき、「この風、私は知っている・・・」と直感して以来、インドに何十回となく通っています。

他の人はそれがタイであったり、また別の友人は、カンボジアの田舎道で、不思議な懐かしさと魂の安らぎを覚えたと言います。

だから、私にもきっと前世を生きた土地があるに違いないと信じ、そこを捜してみたいと思い立ったのです。

 

数年前に「ここではないか?」と期待を込めて行ったペルーのマチュピチュでは、特に既視感もなく、現地の人の顔を見ても懐かしさも湧かず、正直がっかりした覚えがあります。

 

しかし、今回のトルコでは・・・

「あれ?ここ知ってる!」とエフェスの遺跡で覚えたデジャブは、ただそこが描かれた絵画を見ていた記憶だけだったのでしょうか?

 

実はエフェスの遺跡ではもうひとつ不思議なことがありました。

子供の時、犬に噛まれたことがあって、動物は基本的に苦手なので、それを敏感に察知できる動物達が、積極的に私に近づいて来る事はまずありません。

それなのに、エフェスの遺跡にたくさんいた野良犬の一匹が私のところに寄ってきて、ずっと離れず、「あっち行ってよ!」と追い払っても追い払ってもどこまでもついて来るのです。

横に並んで歩きながらバッグをつついたり、後ろに回ってダウンコートの裾まで噛んで離そうとしません。

 

ようよう振り切って逃げてきたものの、後で噛み切られたかと思ったコートの裾を見ると、涎で濡れているだけ、つまり甘噛みをしていたのです。 え?私に甘えていただけ?

 

もしかして、前世で縁の深い犬だった?

エフェスの遺跡で私が行くのを待っていた? 

僕だよ!と盛んにアピールしていた?

 

もしそうだとしたら、私が気がつかないで、邪険にされて、ものすごくがっかりしたんだろうなぁ・・・

帰国後に何度となく思い出すのは、この出来事ばかり。

 

まだ見ぬギリシャの面影を色濃く感じ、光景にデジャブを覚え、不思議な犬と邂逅したエフェスの地は、もしかしたら・・・と思う今日この頃です。

 

トルコ旅行から帰って来て、今日でちょうど1ヶ月です。

親切な添乗員さん、愉快なガイドさん、楽しいツアーメイトの方々に恵まれて、今回ほど楽しい海外旅行はありませんでした。

 

今日まで拙いトルコ旅行記にお付き合い頂き、有難うございました。次回から終活ブログに戻ります。