トルコ共和国の西海岸にあってエーゲ海に面したエフェスは、アレクサンドロス大王の遠征以後のヘレニズム都市として栄えた街です。紀元前二世紀には共和制ローマの支配下にあって小アジアの西半分を占めたアジア属州の首都となり、古代ローマ帝国の下で東地中海交易の中心でした。

ローマ将軍アントニウスとエジプト女王クレオパトラ7世が共に滞在した街(もしや新婚旅行か?)、また聖母マリアが余生を送った地とも言われています。まさに歴史の宝庫です。

 

私たちは南側からエフェスの遺跡に入りました。

入ってすぐにあるのがヘラクレスの門。その先に続くのはクレテス通りです。

南側から入るとヘラクレスは振り返らないと見えないので、通り過ぎてからガイドさんの説明が入ります。

二千年前のものにしては保存状態がすこぶる良好です。

当時はこの門はアーチになっていて今はクレテス通り入り口付近に置いてあるニケのレリーフが上に乗っていたそうです。

NIKEはアテナの随神でギリシア神話に登場する勝利の女神。

スポーツ用品メーカーのナイキはこれに由来しているのでしたね。

 

クレテス通りを下っていく途中でガイドさんが案内してくれたのが、公衆トイレ。下には水が引いてあり、古代式水洗トイレです。

 

クレテス通りの一番下に見えるのが壮麗なケルスス図書館。

ここはローマ帝国の執政官だったケルススの死後、その息子が記念として父親の墓上に築き上げたもので、ここには古今東西1万2000部の書物が所蔵されていたと言われています。

その後火災や地震の被害もあって、20世紀初頭に発見された時に相当傷んでいたものを、1970年代になって修復したそうです。

一階の正面にはそれぞれ智恵、運命、学問、美徳の意味を象徴する四体の女性レリーフが配置されています。

 

ところが、面白いことに図書館の真向かいには、あろうことか娼館があったとのことで、ガイドさん曰く、「勉強に行ってきま~す!」と図書館の方角に出かけたドラ息子が、図書館の向かい側に遊びに行っていたのではないかと。(古今東西、男って性懲りもなく・・)

 

そういえば、図書館から大劇場に向かう、文字通り大理石で出来たマーブル通りの道端の路上に「人類初!」と言われる広告がありました。それがこちら・・・

な、な、なんと!娼館への案内版だそうで、

右上の女性像が「かわいい女の子が待ってるよ!」

その下の財布が「お金を持っておいで!」

左上のハートが「心をこめてサービスします!」

その下の足が「この先、左側だよん!」 という意味だとか・・

さらに、この足型より小さい男の子は、まだ来てはダメよという意味があったとかなかったとか・・・

 

こちらは貴重なモザイクタイルの上を我がもの顔で闊歩している遺跡ネコです。エフェスに限らず、観光地にはどこにでもこうした野良ネコや野良犬がたくさんいました。

いかにもトルコらしいおおらかさを感じます。

 

さていよいよ大劇場。

音響が良いらしく、この中で君が代を斉唱して実証したツアーもあったとか。今でもコンサートなどで使われているそうです。

当時の市民にとっては演劇の上演や全市民参加の政治集会の会場になったりする重要な場所でした。

収容人数は24,000人(ちなみに東京競馬場は10万人です)

ここから推計して、当時のエフェスの人口はその10倍の24万人位だったと言われています。

 

大劇場の前からエーゲ海に向かってまっすぐ伸びるアルカディアン通り。今は海岸線がだいぶ西に移動していますが、おそらく昔はここから港の様子やエーゲ海に入ってくる船が手に取るように見えたのではないでしょうか。

 

本日の最後はこちら・・・


エフェスにいるとき、「あれ?この景色、どこかで見たことがある」とデジャブを感じたのは、家にあったこの一枚(もちろんレプリカです)を覚えていたからでしょう。さきほど引っ張り出してみると・・・

やっぱり上の写真左側の円柱の様子と同じでしょう?

平山郁夫画伯のシルクロードシリーズ中の一枚。

「古代ローマ遺跡 エフェソス・トルコ」(2007年作)紙本彩色

 

私の思い描いていたオリエントはまさに此処にありました。

この画に出会った5年前から、すでにトルコへの旅は始まっていたのです。